音のある風景 31-40
新潟日報連載 全50回 1989.9.22〜1990.9.14
31 風に響く鈴の音

 大型連休もあと二日。この機会に各地の寺社を訪れて新緑を楽しんだ人も 多いことだろう。前々から写真に撮っておきたい仏寺の音風景があった。寺 院建築の屋根の軒下四方に下がる風鐸(ふうたく)の写真である。滋賀県大 津の三井寺に参詣(さんけい)した折、やっと目的を果たすことができた。
 風鐸はインドにその起源を持ち、仏教文化とともに中国経由で日本に伝来 した「音の出る仏具」である。「鐸」とは鈴のことで、銅鐸が楽器であると いわれるゆえんもそのあたりにあるらしい。昔の中国では、命令を伝えるた めに鐸を打ち鳴らして大衆を集めたという。
 仏教文化が栄えていたころ、私たちの祖先も仏寺の境内を訪れ、寺によっ てさまざまな形に作られた風鐸の静かな響きを、自然の景観の中で楽しんで いたにちがいない。
 風によって鳴き響く鐸−風鈴。江戸時代に始まった南部鉄器の生産やガラスの製造技術の発達は、南部風鈴や江戸風鈴を登場させ、風鐸の響きは、ますます私たちの生活の音となっていった。
 連休も終わり、木立の緑が夏に向かっていよいよその深さを増すと、風鈴の出番も近くなる。

「三井寺の屋根に揺れる風鐸」

32 釣り鐘のイメージ

 アイドル歌手が登場するようになってからの日本のポップスの旋律は、とて も明るく軽やかになったと思う。いわゆる団塊の世代のわれわれが学生時代に 夢中になったニューミュージックの歌詞の一生懸命さや理屈っぽさ、マイナーな旋律など、今の若者にとってはクラくて、ダサくてどうしようもない代物の ようだ。でも、当時の歌には日本の音色がまだ生きていたような気がする。
 当世のそんな若者に、日本の伝統音楽を聴かせたあとの反応は決まって「なんだか気持ち悪い」「幽霊が出て来そう」といったことになる。
 京都の太秦にある東映の映画村。この一隔にある幽霊屋敷の入り口は、鐘の 形をしている。音楽の面から考えれば、鐘の音色には三本の音色の特徴が凝縮 されている。長く尾を引く響き、隣合った二つの音高が強調される音色、さま ざまな音色の寄り合い…など。しかし、「鐘=寺=人の死=恐れ」の連想が、 音の響きの特性をも同じイメージに固定してしまったらしい。耳というのはと ても保守的だから、西洋的音色の世界が日常となっている現在に、この異なっ た音色の世界とのギャップはあまりにも大きく、なかなか埋まりそうもない。

「太秦映画村の
幽霊屋敷の入り口」

33 駒香さんの上方唄

 私が当代随一と尊敬する歌い手に、上方唄(かみがたうた)の竹内駒 香さんがいらっしゃる。舞台の演奏を初めて耳にした時以来、その伸び やかで味わいのある声にすっかり魅了されてしまった。
 音楽大学で教えた学生から、二年前に手紙を受け取った。高校の教師 をする彼女は大学で声楽を専攻したが、授業で耳にした日本の声をどう してもやってみたいという。伝統的な歌のほとんどの曲種を聴いて、彼 女が選んだ歌は、駒香師匠の歌声だった。もちろん、好きだからといっ て簡単にできるはずもない。洋楽の発声と邦楽の発声とは、かなり違うと言われているし、それに、駒香師匠は全国を飛び回る超一流の歌い手 である。
 そこで、まず彼女の声質が上方唄に合うかどうか、常磐津節の友人に聴いてもらった。ぜひやってみたらと言う友人に励まされ、ついに師匠にお願いする決心をしたのだった。
 「とうとう伺うことになりました!」。一年半を過ぎたころ、彼女から興奮した声で電話がかかった。
 初めて大阪までけいこを聴きに出かけた日、彼女の真剣な意気込みに こたえる師匠の親身な指導に接して、私は大変なことをお願いしてしまったと実感した。彼女が舞台に立てるまで、私の気持ちも休めそうにない。

「上方唄のけいこをする
駒香師匠」

34 日本語の響き−狂言

 狂言は、自然でおおらかな声が魅力の日本の芸能だ。まっすぐに伸びる声、 よく通る発音から日本語の確かな響きが聞こえてくる。つい先日も、東京ドイ ツ文化センターで開かれた日独女性作曲家の夕べで、増本伎供子作曲《中世風 の三つの歌》を歌った青山恵子氏は、狂言の歌い方を取り入れ、その説得力あ る日本語の響きに会場の拍手が鳴りやまなかったことがあった。
 演劇の俳優たちも、発声に狂言の発声を取り入れたり、このごろは、現代曲 を演奏する欧米の声楽家からも熱いまなざしが注がれている声だけれど、日本 の声楽界ではいまひとつ関心が高まっていないように思う。
 様式化された能と違い、演劇の内容もざっくばらんで、庶民が本音で語り行 動するおおらかな笑いをテーマとしているから、狂言が登場したころはきっと 昨今の「元気が出るテレビ」のような役を果たしていたに違いない。そのためか、現代の狂言のにない手も、新作の中にディスコのリズムを入れたり、英語 狂言を手がけたりと、意欲的な活動をしている。
 こんどの日曜日、上越文化会館で開かれる狂言の会には、狂言界の重鎮たち が来越してその伝統を披露してくれる。日本語の美しい発声の手掛かりを探る にはちょうどよい機会だ。

「野村万作師らによる狂言
『首引き』」

35 カエルの合奏団

 梅雨の季節には、上越のあちらこちらで蛙(カエル)が鳴き始める。この地に 着任したころは、牛蛙の声をモーター音と思っていたし、雨の夜になって初めて、 宿舎が蛙の大群に囲まれていることを知った。夜道で正座する蛙に突然気がつき車の急ブレーキをかけたこともある。一度など、片足を轢(ひ)かれた蛙が動け ないのを見つけ、足でそっと蹴(け)飛ばしながら田んぼにほうり込んだ時は、 これで私はきっと極楽浄土行きのはずだと自信を持った。雨の日の上越は何かと毎日が変化に富んでいる。
 友人のインドネシア音楽研究家が「バリ島の蛙の声を聞いてみる?」と、現地 録音のテープを聞かせてくれたことがあった。テープの蛙は、日本の蛙の声とは 似ても似つかない。ゆったりとした低音部に、細かくリズムを刻む高音部が絡み、 いろいろなリズムパートに分かれた声々は、まるでガムラン音楽のようだ。インドネシアの土産には、写真のような木彫りの合奏団がある。笛を吹いたり、シンバルや太鼓を打ったり、ちょうどガムランの行進のようだ。そう言えば、ケチャの合唱も蛙の声からヒントを得たんだそうな。
 日本の蛙の声は、お坊さんの声明(しょうみょう)や読経のように聞こえる… なんて言ったら、極楽浄土行きも取り消しだろうな。


「インドネシアみやげの
カエルの合奏団」

36 湿気が作る甲高さ?

 海外からの日本文化に対する興味が年々増している。私自身も、国際学会を通じ て日本音楽を研究する人々との交流が増えており、訪日する音楽家や研究者から連 絡を受ける機会も多くなってきた。
 来日した友人たちが共通して指摘する日本の不思議な音現象がある。それは、通りを行き交う自転車がブレーキをかけたときに発する音だ。「キィーッ」というすさまじい音に「こんな音がして、どうして日本人は平気なのか」と、彼らは眉(まゆ)をしかめて疑問を投げかける。そういわれてみると、私もこの音にさほどの不快感を持っていないことに気がついた。確かに良い音ではない。でも、子供のころから郵便屋さんや新聞配達の合図の音として耳慣れている。遠くでこの音がするのを心待ちにしてもいたように思う。
 アスファルトの道路とタイヤとの摩擦によって起こるこの甲高い音が、湿度の高 い土地柄のせいだという人もいる。
 自転車道路が殊の外整備され、自転車通勤者の多いオランダの諸都市。アムステルダムやハーグで数多くの自転車と出合ったが、このすさまじい音を聞いた記憶がない。やはり湿気が作り出す音なのだろうか。

「自転車のブレーキ音は
湿度のせいか?」

37 義太夫節と演歌

 義太夫節という日本音楽の声楽のジャンルがある。声楽といっても、西洋音楽の 「うた」と比べてずいぶん趣の違った音楽だから、こう呼ぶには少し無理もあるが。
 この音楽は「文楽」と呼ぶ人形芝居の音楽としてもよく知られている。私も、二十代のころから聞くのが好きでかかわり始めたけれど、周囲の人から「若いのにど うして」という質問をよく受けた。でも、名前は古めかしいが、この音楽のアクの 強い特性は、初めて文楽を見聞きした若者たちを結構夢中にさせる。
 ここ何年か義太夫節の太夫(語り手)で人間国宝の竹本越路大夫師に、音楽の話を伺う機会に恵まれている。タートルネックの似合うダンディーな師匠は、応接間 に現代絵画を飾られている今風のすてきな方でもある。最近、会話の中で興味深い 話を伺った。
 師は森昌子もファンらしい。彼女の声の出し方や言葉の発音がとても上手だとさかんに褒められた。そして、よくノドを震わしてこぶしを作ったり、力んで歌う人もいるけど、ずっと声を伸ばすことの方が難しいんですよ…と。日ごろ、演歌やポップスも日本音楽史の一部と考えている私にとって、なにか励まされるような話題だった。「森昌子も復帰すればいいのに…」とポツリとおっしゃったことが印象的だった。

「竹本越路大夫師と
野澤喜左衛門師の舞台」

38 調子が悪い楽器

 昨年から課外活動で雅楽を始めた。たまたま授業で音を出して聴かせた笙(しょう) や篳篥(ひちりき)を聞いた学生たちが、やってみたいと研究室を訪れたのがきっかけ だった。地元在住の高校の先生の助けもお借りして「越天楽(えてんらく)」をまず二ヶ月ほどで仕上げ、学生たちも自由に譜読みができるようになった。
 ところが困ったことが起きた。篳篥のリードの調子が悪くなってしまったのだ。このリードはダブルリードで、水辺の芦(あし)の茎を何年も乾燥させたあと、約五、六? に切って、片端を熱でつぶしてから、クリ小刀でうすく削ってリードにする。市販のものは、ほとんど削ってないから、仕方なく知人の演奏家のところへ削り方の特訓を受けに出かけた。小刀を手に一日がかりで作ってみたけれど、私が不器用なせいか実にむずかしい。火で温めて先端をつぶすまでは何とかなったが、そこから先、削りすぎて穴をあけてしまった。
 日本の楽器は、西洋の楽器のように、買った時点ですぐ音の出せるものが少ない。技術はともかくとして、リードを作らなければならなかったり、革と胴が別々になっている状態から組み立てて鼓を作らなければならなかったり。だから演奏者は製作者の分身になって、鳴らすまでに整えなくてはならない。

「ひちりきのリードを削る
演奏家」

39 エネルギッシュな練習

 沢井一恵氏に初めてお目にかかったのは、十年余り前、国立劇場の稽古 (けいこ)場だった。当時、私は劇場の演出助手をしていたので、近くにせまった邦楽の現代作品演奏会のリハーサルに立ち会ったのがきっかけだ った。
 学生時代は、箏(こと)といえば静けさを表現する情緒的な楽器のイメージで教えられていたので、リハーサルで接した沢井氏の演奏に、大きな
カルチャーショックを受けた。それは、単なるきれいごとでは済ませられない芸術の創造行為を見るようで、演奏すること自体がまさに生きることそのものなのだという事実を見せつけられた思いがした。
 ご縁に恵まれて?大学の集中講義に沢井氏を迎えた折、初めてお目にかかったころが、ちょうど子育ての一段落で、本格的な演奏活動を再開され た時だったと知った。
 集中講義の二日間は、ほとんど休みないエネルギッシュな指導が続く。 そして二日目の夕方から、私共の希望にこたえたコンサートの時間。その演奏に向けて前の晩と本公演前は何度となく練習をされる。世界中、望まれる所あれば一人で箏を肩に駆けつける人。「私は不器用だから練習しないとだめなんです」世界の沢井から出たこの言葉が、いつも私の気持ちを熱くする。七月四日夜はコンサートだ。

「十七絃の音色は低く深みがある。
(演奏は沢井一恵氏)」


40 夏に似合う水車小屋

 少し前、北海道のどこかで水車の動力を利用して「からくり人形」を作っているおじいさんをテレビで紹介していた。農作業の一コマ一コマが、人形の動きによく表現され、カタコト動く素朴は音も楽しかった。それに加えて、おじいさんの柔和で生き生きした表情が印象に残っている。
 私の育った村にも、子供のころ水車小屋があった記憶がある。たしかその家は粉屋さんだった。ギィーッと静かにゆっくりと回転する水車のきしむ音。そ して川水がザッとはじかれる音を絶え間なく耳にしながら育った、小川のある 田舎の田園風景がよみがえる。
 蒸し暑い日本の夏には水の音が良く似合う。川の音、さざ波や少し強い浪 (なみ)の音、滝の音、うっとうしい雨音。皆、歌舞伎の擬音効果として大太 鼓のパターンになっている。巧みのない自然音に、ことのほか思い入れの強い 私たちだから、浪音のテープなどが、このごろのストレス解消法に効果を発揮 している。
 六日町近くの村通りで、通りがかりのおばあさんに道を聞いた。見知らぬ人 に笑顔で丁寧に教えてくれたおばあさんの美しい自然な表情にハッとした。私 たちが持っていた「音のある風景」が、おばあさんの笑顔の背景に見えたよう な気がした。

「京都太秦の映画村で見つけた
水車小屋」

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