音のある風景 41-50
新潟日報連載 全50回 1989.9.22〜1990.9.14
41 修行僧を見張る魚

 禅宗の仏教寺院には、めずらしい形をした鳴らし物(打楽器)がいろいろある。これから三回にわたって、その代表的なものを紹介しよう。 この大きな魚の形をした鳴らし物は、魚◆(かいぱん 「ぱん」は木偏に邦と書く)と言う。ほうの木でできていて魚の形をしているからこの名があるが、仏教寺院の食堂の前につり下げられて、食事の時刻を告げるために打ち鳴らされている。
 約二mほどの長さがあり、打つときは長い棒で魚の腹の部分をコーンと打っている。この写真の魚◆(かいぱん)は、京都宇治市の黄檗宗(おおばくしゅう)万福寺のもの だが、禅宗のもう一つの宗派、曹洞宗(そうとうしゅう)にもはやり同形の魚◆(かいぱん) がある。
 魚を形をしている理由は、魚が夜も昼も目を開けているから、修行僧をしっかりと見て怠惰な心をいましめるために魚形にしたという中国の説が良く知られて いる。私たちの生活に身近な木魚も、やはり同じ考えのもとに作られたらしい。
 禅寺では、鳴らし物の音を聞いてすべてが進んでいく。その音色も、木の音、 金属の音、皮の音とさまざまだ。「日本的」な静寂の世界がここにある。

「宇治の万福寺のかいぱん」

42 雲中から響く音色

 雲版(うんぱん)は、禅寺の食堂近くに吊(つ)り下げられた青銅製の鳴らし物で、食事時の合図に打たれている。中国伝来だが、禅寺だけでなく浄土宗の仏寺でこれを備えているところもある。日本最古の雲版は、福岡県の大宰府天満宮に あるものだそうで、十二世紀に作られたそうだ。文字通り雲を形どった板だけれ ど、そのデザインはかなり現代的でもある。青銅の鈍い色合いとこの形が、木造 の仏寺の古式ゆかしい風情と良く調和している。
 雲版の音は、ジャンジャンという濁った音で余韻も少ない。だから、食事の合図の音といっても、このごろはやりのテーブルベルの澄んだ響きからは一番遠い所にある。でも、長時間の慣れない座禅で、自然な息をすることにすっかり疲れ た時耳にしたこの音色に、ホッとしたことを思い出す。
 仏寺の打楽器の多くは、雲版のように鈍い響きが多い。読経のリズムの区切り に打たれる巨大な椀(わん)形のケイス、読経の段落を示す山形の磬 (けい)、インドから伝わった金属の輪がいくつもついたガラガラのような錫杖 (しゃくじょう)やシンバル形の鐃◆(にょうはち)など。これらの複雑な音色は、 ちょうど経を唱える僧たちの声の集積のようで、大気の音をすべて吸い込んでしま ったように響いてくる。

「禅寺の雲版」

43 海を渡る仏教の音

 昭和五十六年六月、国立劇場で「声明の打楽器−多彩な響きの表現を求めて−」 と題する公演が行われた。そして、舞台上に、真言、天台、浄土、日蓮、曹洞、黄檗 の各宗派から集められた数々の打楽器が並べられ、儀式の中で使われる例が示された あとで、打楽器奏者による「打楽器として復権のためのデモンストレーション」が行 われたのである。
 この公演を契機に、現代の作曲家たちの作品の中に、仏教打楽器がよく登場するよ うになった。打楽器の中でも登場する頻度の多いものは、ケイス、キンそして木版(もっぱん)である。
 木版とは、何のことはない四角い厚手の板で、仏教寺院の数ヶ所につり下げられて 行事や、日常の動きの合図に打たれている。寺を訪れた人は、こんな板がよもや楽器 になろうとは思うまい。ところが、コーンと一打したその音は、澄んだよく通る響きで、大きさや厚さの異なる板ごとに音の高さも少しずつ違うので何枚かを交互に打つだけで、不思議な情趣を作り出すのである。雅楽器や仏教打楽器の編成による作品の創作で、伝統音楽の現代性を問い海外からも注目されている作曲家、一柳慧(とし) 氏の作品にも、木版はよく使われる。この秋のヨーロッパ公演でも、再び木版が海を渡る。

「禅寺に下げられた木版」

44 祭りと囃子と唱歌

 「祗園祭」という落語がある。江戸ッ子が京に上り、祗園祭の日に京の人 と大通り沿いの桟敷(さじき)で同席した。初めは酒を酌み交わしていたが、 興に乗るうちに互いのお国自慢となる。そして、京の人が繰り返す「なんていうたかて、京は天下の王道や」の言葉と高慢な笑い声に江戸ッ子が腹をたてて痰火(たんか)を切るのだ。(この落語はきっと江戸ッ子が作ったのだろう)二人のいさかいの様子が、祗園祭と神田祭の囃子(はやし)の唱歌で表されていることが洒落(しゃれ)ている。唱歌(しょうが)とは、笛なら ピーヒャラ、太鼓はテケテンといった口三味線の類だ。祗園囃子はまったりとおおらかな笛と鉦(かね)の音で、神田囃子はせっかちで潔い笛と太鼓の音で表現される。
 この落語を初めて聞いたのは、だいぶ前のNHK新人落語コンクールでの春風亭正朝の熱演によってだった。彼の素晴らしいリズム感と、落語そのものの 音楽的な流れに驚いて、何て面白い落語だろうと思っていたら、彼が優勝した。 数年後、音楽大学の講義に正朝さんを招いて二百人の学生に祗園祭を聞かせたが、 学生たちもこの音楽的な落語にすっかり夢中になってしまった。除疫祈願に始まる祗園祭の囃子が、今年も七月十七日にそのゆったりとした囃子の音を暑さの中 に響かせていた。

「京都祗園祭の
山鉾(やまぼこ)巡行」

45 生の歌を聴きたい

 最近、あるパーティーの余興で、地元の民謡や津軽三味線を聴く機会があった。 演奏の段取りができたころ、司会者が演奏者たちを紹介し、演奏が始まった。会場 は決して広くないのに、司会者はマイクの音量を上げてしゃべりまくる。演奏者たちも皆マイクを使って演奏するので、あまりの音量に思わず席を立った。マイクなしで十分に聴ける声量と歌の技術がありながら、狭い空間での響きの美しさを無視し てしまう感性は、何とも理解しがたい。それに、会場の客たちは会話に夢中で、会場全体が騒然としているから、音楽をすること自体、騒音を増しているにすぎない。
 しかし、残念ながら、この騒がしさは日本の伝統的な感性の一つかもしれないと、 このごろ古い記録を調べながら納得している。
 西洋文化の中の音楽のあり方ですてきだと思うのは、一般の人々が音の微細な変化を楽しむことを知っている点である。そして、必要以上の音を出さないことも。 だから街も静かだし、車のクラクションもあまり鳴らさないし、乗り物の中やレストランの中で、大声を出してはた迷惑にしゃべらない。
 日本音楽の中には、西洋の人があこがれる繊細な響きの世界があるのに、生活の中にその感性が生きてこないことが残念だ。  

「民謡の演奏風景」
(本文と関係ありません)

46 林泉寺山門の音色

 四年前の初夏、まだよく知らない上越市内を、車でウロウロと動いていた。 そして、何気なく林泉寺を訪れた。山門を入ってぐるりを見回したとき、ふと、 ここで楽器を演奏したらどうかなと考えた。山門の下で手を打ってみる。かなり響きがよい。
 ちょうど近々、オランダからフルーティストが私を訪ねて来る予定もあり、大学で受け持っている「現代音楽」の受講生たちに、美しい緑の中で音を聞かせてみたいとも考えた。
 でも由緒ある寺のこと。そんなに簡単に場所を提供してくださるだろうかと 迷っていたその時、作務衣を身に着けたご住職が、箒(ほうき)を手に庭掃除に現れた。早速にお尋ねしたところ、ご住職は快く引き受けてくださったので ある。
 これがきっかけで定例的に山門コンサートが始まった。もちろん、どんなタイプの音楽も自然の中で行えばよいというわけではない。自然の音を取り込んでも違和感のない音色や奏法のものを選ばなくてはならないだろう。現代作品の中には、そんな環境をむしろ効果的に利用したものがある。
 音楽界の当日、フルートからさまざまな音色が流れると、空ではトンビが、 庭ではカジカ、木立の中では鳥たちが同じ音色で鳴き始めたのであった。

山門コンサート
「雅楽器による現代作品」

47 車ベルリンの騒音車

 一年ぶりに西ベルリンを訪れた。市の中心地では、視界を閉ざしていたはず の壁が、すでに跡形もなく消え、ブランデンブルク門の広場には、砕いた壁に色を塗って売る若者、もういらなくなったと軍服やバッジを売る人々が机と椅 子(いす)だけの小店を並べたいた。
 壁がなくなっても、西ドイツから東ドイツに入ったことはすぐわかる。車の タイヤが突然ガタガタと音をたてはじめるからだ。石畳の街路沿いに、かつて美しいたたずまいであっただろうと想像できる家々が、壁のペンキを剥(は) がし、錆(さ)びた窓枠をどうすることもできずに居並んでいた。「塗り替えたくてもペンキが買えなかったの」と友人が私に説明した。
 この車のトクトク…というエンジン音とすさまじい排気ガスこそ、この連載にふさわしい話題だ?と、ドイツに住む友人たちが口をそろえて言ったソ連製 の小型車が家々の戸口に止められていた。今、西ベルリン市内でこの車をよく 見かける。東ベルリンの物価の高騰で、西側の安い品物を人々が買い出しに来るためだ。東ベルリンの大通りの店々は、すっかり西側の品物を並べている。
 喫茶店のウエートレスが、笑顔で注文に応じるようになったと、友人が驚いていた。

「エンジン音と
排気ガスが不評な
東ドイツ国民車」

48 ベルギーの三味線

 ベルギーのブリュッセルには、日本の古美術を扱うアンティーク店が結構多い。 友人のアンが勤める店も「京都ギャラリー」と名の付くそんな店である。京都に 本店があるわけでなく「京都」と付けると日本の古美術だとすぐわかるからだそ うだ。日本文化研究家で名の知れた母親の影響で、彼女も日本の骨董(とう)品 の勉強を始めたのだった。  私が店を訪れたその日、彼女は私に見せたい楽器があると目を輝かせた。それは、棹(さお)と胴全体に金色の花紋様を描いた三味線で、明治期の作品とのことだった。猫皮のかわりに張られた和紙は、すっかり茶色に変色し、よく使う三の糸には、絹糸にかわってプラスチック糸が張られていた。気候の違う異国の地で日本の音を大切にしていた人がいたのだろう。
 この店には、ほかにも三味線を弾くさまをブロンズ像にした三点の作品があっ た。この像もその一つである。やはり明治期の作というが、西洋の写実的な描写 法を日本の中で消化させた素晴らしい作品だった。さまざまな明治期の逸作に接して、今まであまりにも身近すぎて気にもとめなかった「明治」という時代の創造的エネルギーのすごさを、異国の地で知らされた思いがした。

「三味線を弾く男の像」

49 バテンレースと水車

 上越市の土産品として知られるバテンレースは、古くヨーロッパから技術を取り 入れて作られたものと聞いている。このバテンレースにそっくりの形をしたレース が、ベルギーみやげとして有名で、バトン(棒)を使って編むから英語でバトンレ ースとも呼ぶと聞いた。上越のレースのルーツは、このあたりにあるのかもしれない。
 ブリュッセルの土産品店のすべてが、このレースと小便をするの男の子の像「マンネケンピス」を売り物にしている。小さな店に並べられた小便小僧の大群を見ると、 何か感性の違いを感じてしらけてしまう私だったが、ふと、信楽(しがらき)の里の タヌキの群団を思い出し、外国人にとってこのタヌキも理解しにくい感性かなと考える。
 友人のアンの車でホテルに帰る道すがら、緑に囲まれた田舎道の一角にある白壁の 洋館を、彼女が指さした。見ると、川をはさんで建てられたその洋館は、渡り廊下と川との間に日本の水車を取りつけていた。澄んだ水の勢いにリズムを合わせて回転する木の水車と洋館との異質なものの取り合わせが、ここでは奇妙にマッチする印象に 残る風景であった。
 日本のバテンレースと、ベルギーの水車。時の流れが異文化を国風に変えていく。

「水車のよく似合う洋館」

50 異種民族の音の特性

 ベルギーのゲントで会った人形遣いの一人は、中世風の衣装でリコーダーやリュートなどの古楽器を伴奏に人形劇を見せていた。驚いたことに、次々と登場する楽器の中に、仏壇で打ち鳴らすキンがあった。それも、一合升の上にキンをのせて打ちながら、自己流のお経を唱えて、客席を沸かせて いた。公演後に聞きに行ったら、来日した折、仏具店で買ってきたそうで、 一合升はパーティでもらったのだそうな。
 かつて日本では、こんな道具が楽器になるなどと考えられていなかった。 私たちに身近な音だけれど、楽器とはピアノやバイオリン、フルートのようなものを指すと考えていた。でも、1960年代からさまざまな音を出す道具が、 そのままの自然な音色や高さで、音楽作品の中に取り入れられるようになり 「音楽」の意味する範囲がぐんと広がった。それまでいつも肩身の狭い思い をしていた日本の楽器たちは、やっと自らの立場を貫く安心感を持てるようになったのである。
 民族、宗教、社会によって人々の考え方や暮らし方が違う数だけ、音楽の姿も異なっている。「音楽は万国共通の言語」などと、とてものんびりしていられない。でも、違いが分かればわかるだけ、音を聞く楽しみが増えることはまちがいない。

「仏壇のキンを手にした
人形遣い」