音のある風景 21-30
新潟日報連載 全50回 1989.9.22〜1990.9.14

21 降り積もる雪の世界

 上越に来て感激したことは、積雪のために車線が半減した道路を斜めに傾き ながら堂々と走る、路線バス運転手さんの高度な運転技術。冬の雷。そして天 空から矢のように降り注ぐ雪。
 雷が季節の変わり目を告げることを、この地に来て初めて知った。中でも、 冬の始まりと春の訪れを知らせる雪は印象深い。
 十二月も近くなって、寒冷前線が日本海を通り過ぎるころに鳴り出す雷は、 「雪雷」「雪おこし」「雪おろし」などと呼ばれ、ズズーンと低い音をたてて 大気の中を響きわたる。そんなころ、夜も深まって、突然窓ガラスに何かがぶ つかるような音がした。小豆をパラパラと落としたような音。それが、あられ の音だった。
 雪やこんこん あられやこんこん
 耳なれた歌からは想像もできなかった連射するあられの大粒に、初めて出会った。 またたく間に地面が白くなって行く。
 朝。しんしんと降り続く雪。音もなく降り積もる雪は、いつも聞こえていた 下界の音を耳のかなたへと遠ざける。深々と…。吐息のようにかすかな音の世 界。深々とした闇(やみ)の中、しんしんと冷えゆく大気を感じながら、わず かな音の移ろいに耳をそばだてる冬。
 雪の上越に無音の世界が広がってゆく。

「しんしんと、音もなく降る雪」

22 雛人形たちの楽器

 西洋音楽の用語の多くは、昔から日本音楽で使われた言葉からの転用が多い。ただ残念ながら、音楽の内容が違うので、転用された言葉の意味は、日本音楽がもともと持っていた意味でなくなってしまった場合がある。
 例えば「拍子」という言葉。中国から来たこの言葉は、日本楽器の中で打楽器に関係する意味を持っている。打楽器そのもの、打楽器を打つ人、打つ所、打った音などを表す言葉として使われてきた。
 三月三日。あしたは雛(ひな)祭り。
 雛人形たちが手にする楽器や音具には、六つの拍子(打楽器)がある。五人囃 子(ばやし)を構成する締太鼓、大鼓、小鼓、横笛の四種の楽器は能囃子の楽器 で、総称して「四拍子」と呼んでいる。横笛といえども、能の場合は不思議な音 階でリズムを強調して吹くために、打楽器に含めてしまったのだ。五人囃子の五 人目は、扇子を手に謡う役。この扇子も、謡のけいこでは木製の拍子盤を打って 拍子を刻む「張扇」となり、いつの間にか扇子を閉じた形の革製の扇拍子も打楽器専用に登場して活躍している。最上段の内裏(だいり)様が持っている笏( しゃく)も、半分に縦割りにして互いを打ち合わせる「笏拍子」として、催馬楽 (さいばら)などの古来のウタの世界では重要な打楽器なのである。

「上越市国府・光源寺の享保雛」

23 購入和琴作り直し

 和琴(わごん)は、七、八世紀にわが国で形を整えた六絃(げん)の琴で柔ら かい響きの楽器である。神楽歌など、日本古来のウタの伴奏に使われてきたので、 このごろは宮中の特別の行事の折とか、神社の催しで耳にする以外、ほとんど忘れられてしまった楽器だ。
 和琴の絹糸絃を支えるフレットを柱(じ)と呼ぶが、この柱はカエデの自然木 の二またに分かれた枝から作られている。冬季の今ごろが木の採取に適していると聞いた。
 学生たちと和琴をかき鳴らして歌をうたいたいと思い、昨年末に雅楽器製造・ 発売の看板を掲げる東京足立区のM楽器から和琴を取り寄せた。ところが、届いた楽器を見て首をかしげた。柱のサイズが不ぞろいで、中には太さが三?に満たな いものもあり、これでは演奏中に柱が倒れかねない。ピック(琴軋 ことさぎ)も大きすぎる。気になる点が多々出てきたので、M楽器に問い合わせた。何回かのやり取りの末、M楽器では製作者から届けられた品物をそのまま注文主に送り届けているとのこと。 さらに製作者も本式の和琴に触れたことがなかったこともわかった。そして、通常、形が整っていれば演奏上の注文をしてこない買い手が多いとも聞かされた。日本の楽器を購入するときはこんなハプニングがよく起こる。私の和琴は、今再び作り直されている。

「よくそろえられた和琴の柱(じ)」

24 セクエンツィアの歌声  

 ヨーロッパ中世の宗教音楽を研究し復曲演奏しているグループ「セクエンツィア」 が、二月末にドイツ文化会館の招きで来日した。カザルスホールのコンサートは、近 年の古楽器ブームも手伝ってほぼ満席。単旋律を中心として小さな音量の楽器で伴奏 される歌は、聴くものをいつのまにか音楽に引き入れてしまうような自然な発声で、自由に装飾され、日本の古い歌と趣の似たものだった。
 グループを率いるソーントンさんは、日本の声明(しょうみょう)や謡曲などの発声に興味を持っていて、今回の来日の折にぜひ聴きたいと私に連絡してきた。ところ が東京到着後、流行の胃に来る風邪で一行が全員ダウン。コンサートの翌朝やっとソ ーントンさんだけを連れて、亀戸天神近くの天台宗光明寺を訪れることになった。こ の日、遠来の客のために調布深大寺のご住職をはじめ六人の僧たちが、この寺に緊急集合して下さったのだ。
 東西の宗教音楽談義のあと、四十分にわたる本堂での天台声明。声明を聴く彼女は、自らの息を僧の息に合わせて呼吸している。静かな声明の時の流れがやんだのち、お礼にと彼女が歌いだした音楽は、つい聴き終えたばかりの声明の息を、そのまま受け継いでいた。そして私は、同じ音楽の流れをそこに聴いていた。

「セクエンツィア」

25 伝統の姿形に不安も

 東京・渋谷駅近くのビルの外壁に、人目を引くディスプレイが登場した。以前に本欄 でも紹介したカブキロックスをモデルにした、TBS局の巨大な宣伝幕だ。桜の花をあしら った朱色の背景に、朱・黄・緑の衣装を身に着けた「氏神」が、ギターを手に見えを切る 発想は、TV局の娯楽性を強調したイメージと見た。とかく、形式だの型だのにこだわる古典芸能の常識を気楽に打ち破ったこのグループの目のつけどころが面白い。
 今でこそ歌舞伎といえば三味線音楽が伝統的なスタイルになっているが、その昔、中国 から沖縄経由で三味線が渡来したころは、ちょうどビートルズの来日で日本にギターブー ムが起こったのと似た状況だったはずだ。
 初めは洋楽のギター音楽をまねしていたけれど、三十年を経た今、この分野もすっかり自らの音楽として独り歩きを始めている。
 そして、数年前からその徴候を示し出した復古主義的傾向もまた、ギターを持つ若者た ちの間で、歌舞伎の化粧や衣装の雰囲気を、自分たちのオリジナリティー強調の手段として取り入れる形で姿を現してきた。しかし、彼らの奏でる旋律は甘く、情に流れやすい。 情緒的な旋律と伝統を意識した姿形。本人たちにとって無意識なこの組み合わせが、ときとして私に不安を抱かせる。

「テレビ局の宣伝幕
東京・渋谷」

26 エスニックの店で

 エスニックという言葉が現れてから、かれこれ十年近くになるだろうか。
 化粧品のCFから始まったこの言葉も、ファッション、グルメ、そして音楽の世界へと広 がり、今や、民族的なリズムや旋律を取り入れたエスノポップは、若者の普通名詞になった感がある。
 中央線高円寺近くのこの店は、エスニックブームのメッカの一つである。ここで扱う品 物は、インドを中心としたアジアの装身具、食器、室内装飾品、楽器、レコードなど。店にあふれる華やかな色彩が、訪れた者を異国へと誘い込む。
 とりどりの品が所狭しと置かれた中に、竹の楽器が無造作に積まれているのが見えた。 ケーンという管楽器だ。ひょうたんの胴に竹を差し込んでリードをつけ、ひょうたんの口 を吹くと不思議な和音が響いてくる。実は、このケーン、日本の雅楽で使われる笙(しょう) の先祖である。笙はこのごろほとんど一般に見る機会も少ないが、ケーンは相変わらず、 タイやラオスでいきいきと音楽を奏でている。インドシナの風土で生まれた楽器なので、 日本で一冬越すと、たいてい寒さでリードが動かなくなる。しかし、楽器も一種のファッションの日本では、こわれたケーンの修理もままならない。

「東京・高円寺近くの
エスニックショップ」

27 珍しい竹のオルガン

 先日、京都宇治の万福寺を訪れ、八十歳になられる楠大僧上から珍しい竹製の筆をいた だいた。筆の毛先まで一本の竹から作り上げられたもので、実に美しい。毛筆ならぬ竹筆 がこれで書けるというわけだ。竹でできた品々はいろいろ知っていたが、筆は初めてだっ た。
 竹は湿気の多い土地に生育し、東アジア、東南アジア、アフリカの一部、南アメリカ以 外ではほとんど見られない。内部が空洞になっているから楽器に作りやすく、竹笛がアジ アの代表楽器でもある。さまざまな太さ、長さの横笛や、尺八のような縦笛はよく知られ ている。また、前回紹介した、笙(しょう)やケーンのようにリードのついた縦笛も、東 アジアの代表的な竹笛で、ハーモニカやオルガンに似た音色を出す。
 フィリピンのマニラにあるラスピナス教会のパイプオルガンは、そのパイプがすべて竹 でできている珍しいオルガンである。1816年から24年にかけて、スペイン人の神父により 製作され、普通のパイプオルガンの金属パイプの音色に比べると、軽く明るい音色をして いる。笙やケーンと構造にも共通点があるから、ちょうど巨大な笙の音色を耳にしている ようだ。
 竹のオルガン。アジアならではの発想ではないか。


「ラスピナス教会の
オルガンの竹製パイプ」


28 粗大ゴミのピアノ

 近年の民族音楽ブームの仕掛け人、元芸大教授の小泉文夫氏が急逝して七年になる。故 人の意思を継いだ未亡人は、昨年、私財を投じて基金をつくり、民族音楽研究の分野で業 績を挙げた個人や団体に与える「小泉音楽賞」を設立した。そして、その第一回授賞式が 故人の誕生日の四月四日に行われた。今回の受賞は、イギリスのJ・ブラッキング博士と、 芸大の民族音楽ゼミナールの二点であったが、ブラッキング博士はこの一月急逝したため、 代理人による受賞となった。
 生前の小泉氏が冗談まじりにこんなことを言っていた。「きっと今にいろいろな音楽が 盛んになるから、ピアノが粗大ゴミになっちゃう時代も来ますよ」と。
「まさかそんなことは…」と思っていた私だったが、三月二十九日、ラジオのニュースが 突然耳に入ってきた。「東京ドームで、世界初のゴミの祭典が開かれ、そこには真新しい ピアノまで登場して観客を驚かせています」
 授賞式で婦人にお目にかかった折に、私は早速この話をお伝えした。「三月二十九日ねぇ」 と、感慨深く繰り返した夫人は、「実はね、主人の本当の誕生日は三月二十九日なのよ」と 言った。そして、「何か話がうまくできすぎているわね」と二人で笑った。

「民族音楽学者 小泉文夫氏」

29 日本楽器裏方の苦労

 この写真は、日本音楽の発表会の舞台裏の一場面である。ピアノ発表会などでは決し て見られない裏方の苦労が、日本音楽の現場にはいろいろある。
 写真の左側が客席で、中央の白っぽい着物の女性が発表会の主役。左右の黒紋付きの 男性たちは、彼女の師匠と今回の舞台のための助っ人の演奏家。女性が習っているのが 三味線であり、彼女のま後ろにうずくまる男性は、実は、三味線の糸が切れたり革が破 れた時に直ちに楽器の入れ替えができるよう控える役の人である。この時の演奏時間が 約三十分。その間、ほとんど身じろぎもせずにうずくまるのは実に大変なことと思う。  日本の楽器の多くが、自然の素材を用いているために、舞台上ではさまざまなハプニ ングも起こる。雨の日など、湿気を含んだ外の空気とライトに照らされた舞台の乾燥し た空気との違いで、三味線のような薄手の革は瞬間的に裂けることもある。演奏が未熟 な場合は、象牙(ぞうげ)製のバチ先が絹糸弦に当たる角度によっても、糸が摩滅しや すく切れやすい。だから、演奏技術が向上するにつれて、楽器調性の技能にも熟達することになる。
 この日舞台は何事もなく終わり、彼女の演奏をたたえる拍手も大きかった。


「常磐津の発表会の舞台裏」

30 弁慶の引摺り鐘

 五月五日は端午(たんご)の節句。鎧兜(よろいかぶと)の飾りは、健康でたく ましい男子の成長を願う印でもある。武士の時代、カッコイイ男の典型に弁慶がいる。 五条大橋で戦った義経の強さに感服して、一生を義経にささげた男気は、歴史物語や 歌舞伎の格好の題材にもなっている。
 日本三銘鐘の一つ「三井の晩鐘」で名高い大津の三井寺(みいでら)には、弁慶に まつわるもう一つの鐘「弁慶の引摺り鐘」があって、面白いエピソードを伝えている。
 比叡山延暦寺と三井寺の間で争ったころ、弁慶がこの鐘を分捕って比叡山へ引き摺( ず)って行った。そして撞(つ)いたところが鐘の音がしない。ただイノー、イノーと 鳴るばかり。怒った弁慶は、去(い)にたけりゃ去ねと谷底に鐘を投げ捨てた。そこで 鐘は再び三井寺に戻ったという。
 梵鐘の音に「イノー(去のう=帰ろう)」という言葉を聞くところが日本的で面白い。 というのも、日本人は抽象音を言葉で表して意味付けして聞くことが好きな民族だからである。 「可愛(かわい)い可愛いとカラスは鳴くの」のたぐいだ。物の音に自らの感情さえ移入して 聞いてしまう。とすると、「イノー」と聞いたのも弁慶の気持ちかもしれない。案外この話、 弁慶の情の深さを暗示しているともとれるではないか。

「滋賀県大津市三井寺にある
弁慶の鐘」

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