音のある風景 11-20
新潟日報連載 全50回 1989.9.22〜1990.9.14

11 ユニークな展覧会

 この写真は、かの著名なピアニストのグレン・グールドが使ったピアノの残骸 (ざんがい)である。音楽大学で所蔵していたが、火事でこのように無残な姿になってしまった。そして、この写真は、オランダのハーグ市立博物館の展覧会案内で もある。「アンティ・クヮ・ムジカ(音楽の将来といった内容)」と名付けられた この展覧会は、芸術の創造行為について考えようとする試みでもあった。前衛的な 音楽作品の登場が、クラシック愛好家から攻撃の的になりやすいことはいずこも同じ。 彼らは、現代の作品に対して「音楽の破壊行為である」とか「楽器を壊してしまう」 と非難する。そこで、創造行為と破壊行為との違いを楽器に焦点を当てて見せたのが、 この展覧会だった。
 現代音楽の中でのさまざまな試み―例えば、ピアノの内部にフェルトやボルトなど を詰め込んで音色を変えてしまった「プリペアード・ピアノ」や、パイプオルガンの パイプをバラバラにして各パイプに空気ポンプで空気を送って音を出す楽器、そして 医療器具や自動車の部品を太鼓やバイオリン、ハープと一緒にセットして二人で合奏 する「二人オーケストラ」などなど―これが楽器!?と驚くものまで展示されていた。 どの試みも、もとの楽器の状態にもどせるから「創造行為である」と企画者は言う。 破壊されたグールドのピアノは決して復元できないのだとも。
 オランダは、現代の芸術活動に理解の深い国と常々聞いている。こんなユニークな 企画からも国民性がうかがえる。


12 列車の発車ベル

 今年三月、JR新宿駅と渋谷駅で、発車ベルが柔らかいメロディーの「ハーモニー・ ベル」に変わった。発車間際の丁寧すぎるアナウンスも少なくなり、急な変化に戸惑う乗客がオロオロしていた。
 このごろ、環境音も考えた都市設計(サウンド・デザイン)の活動が盛んである。 JR駅の変化もこの活動の一環であろう。音を変えることに加えて、デパートや駅で手取り足取りのアナウンスも減らしたら、日本はずいぶん静かになることだろう。
 西ベルリン駅でベルギー行きの汽車を待った。西ベルリンは東ドイツ内にあるので、 汽車は四十五分も遅れて到着した。二十分も待ったころ、初めてアナウンスが一言あ った。乗客はため息交じりに、でもあきらめ顔だ。ようやく着いた汽車に乗り込むと、 窓から駅員の姿が見えた。右手に何か光るものを持っている。よく見ると、博物館で 見たシップホルン(Ship Horn)と同じ形で、日本の豆腐屋さんのラッパにもよく似ている。これで発車の合図をするらしい。ベルもアナウンスもなく、いつの間にか汽車は発車した。
 久しぶりに渋谷駅のホームに立った。気がつくと、メロディーが中断されて、発車 注意のアナウンスと短いベルが復活していた。

「象牙製のホルン」

13 「音」への思い入れ

 「激動の一年」の言葉は、今年のためにあるようだ。大きな時代の変化が起こっている。 クラシック音楽界の巨匠、ヘルベルト・フォン・カラヤンが七月に世を去った。その日のベルリンでは、大衆紙の一面に彼の死が大々的に取り上げられた以外、思っていたより 平静だった。明快で、ある種の冷徹さを備えた彼のベートーベン解釈は、戦前流行した思 い入れの多い解釈の否定とも言えるのだが、彼の華やかなタレント性とともに、新しい時 代の大衆に強い支持を受けてきた。
 暮れになると日本の各地ではやる「第九」の大合唱は、カラヤン−ベートーベン−第九 の連想によってもたらされた、日本的歳末風景にまでなっている。しかし、日本における ベートーベン人気は、帝王カラヤンの意図に反して、また本来のドイツ音楽の特性である 「論理性」よりも、作品から感じられる物語性や「運命が扉をたたく!」といった感情移 入的解釈によるところが多いように思う。歌や語りなど、いつも言葉とともに音楽を作り 出してきた日本人の伝統的な音楽性は、こんなところにも表れている。
 美空ひばりの死も、大きな出来事だった。《悲しい酒》への思い入れと、第九の合唱への思い入れと…私には同じように見えてしまうのだ。

「カラヤンの死を報ずる
ベルリンの新聞」

14 神楽と日本的時間

 宮城県の高千穂町は、天岩戸伝説の地として名高い。毎年十二月から一月中ごろまで、 高千穂の各神社では、五穀豊穣(ほうじょう)を祈る神楽が夜を徹して行われる。笛、太鼓、銅拍子(どびょうし=小さなシンバル)の繰り返す単純なリズムにのって何度も繰り 返される舞い人の動き。循環する時の流れが、複雑な現代社会のリズムに疲れた私たちを、 自然界のリズムへと開放する。
 正月につきものの獅子舞をはじめ、各地に伝わる湯立神楽や岩戸神楽など、民間の神楽 の信仰は、冬の神事芸だった宮中の御神楽に端を発すると言われる。御神楽では、歌が音 楽進行の中心を占め、ゆっくりと上下にゆれながら長く引き伸ばした歌い方は、まるで時 間が止まってしまったかのような感じを与える。神楽の音楽の世界には、確かに「日本的 時間」が流れている。
 日本の芸能のほとんどは、神道や仏教と深いかかわりを持って発展してきた。そして、 日常の中で、私たちは無意識のうちにさまざまな宗教の産物を「伝統」「文化」としてお おらかに取り入れてきた。現在、マスコミをにぎわしている大嘗祭の問題。御神楽はこの 祭りのメーンプログラムの一つだ。伝統をその背景から切り離して論ずることはできない。 しかし、背景のみが話題になることも残念な気がする。  

「高千穂の夜神楽」

15 1つの音にかけた命

 冬の寒空に冴(さ)え渡る夜回りの拍子木の音。そんな習慣もなくなってしまったかと 思いきや、十二月に入って寒さが増すと急に「火の用心。カチカチ」と聞こえ出す。凍 (い)てつく夜は、人通りも車もまばらなためか、小さな木の音がよく響く。
 この拍子木の音が、歌舞伎の世界では重要な役どころとなって登場する。
 開演ブザーなどなかった芝居の世界。役者や演奏家が到着した知らせに「チョーン、チ ョーン」。そろそろ開幕だぞと「チョーン、チョーン」次第に早く刻んで打つと、いよい よ幕が開く。芝居好きの人々にとって舞台への期待が一層高まる木の響きだ。この音を合 図にすべてが進んでゆく。
 拍子木の素材は白樫(しろかし)の木である。柾目で曲がりのないものを作るのに、ず いぶんと神経が使われる。繊維の方向が響きに大きく影響するからだ。拍子木の一つの音 の響きに命をかけた竹柴蟹助さんが、昨年八十四歳で亡くなった。蟹助さんは、芝居文字 の勘亭流を再興した人でもある。写真の拍子木は、蟹助さんに選んでもらった。初めの一打がどのぐらい華やかな音色か、そしてどこまで通るか。けいこ場で一本一本を吟味して くれた蟹助さんの鋭い目を、今もよく思い出す。

「歌舞伎の拍子木」

16 手紙が落ちた擬音

 正月のテレビ番組に必ず登場する歌舞伎。伝統芸能の危機がさけばれて久しいが、この ごろの歌舞伎には不思議に勢いがある。現代的な感性を持った魅力的な若手の台頭も、その理由であろう。
 歌舞伎の舞台には、ずいぶんいろいろな音が登場する。そこでは、日本の生活の音がそのまま取り入れられたり、あるいは誇張して表現される。中でも面白い音は、二本の木片を板の上に打ち降ろす「ツケ柝」と「ツケ板」の音だ。人や動物が走って登場するときの足音や、物が落ちた音に使うが、カッコイイ役者が見得を切って決まるとバッタリ、人が切られた時にもバッタリと打つ。「バッタリ」という表現は、二本の木を打つ時のリズムがずれるので、こんな言い方をしているけれど、大きな音がするはずもない手紙が落ちてもバッタリと打つから面白い。こんな雑音とも言える音が歌舞伎にはたくさんあって、芝居の演出効果を高めている。
 ハードボイルドの劇画には、「ダダダ…」とか「ザザーッ」とか、片仮名語だけで筋を運んでいる作品がある。片仮名の擬態語は濁音が多く、まるで歌舞伎の音響効果のようだ。こんなところにも、案外伝統が生きているのかもしれない。

「歌舞伎のツケ柝とツケ板」

17 3つのキーワード

 「えーびばでいSAMURAI SUSHI GEISHA !びゅうていほーるFUJIYAMA HA! HA! HA !」 米米CLUB が歌って去年流行したCFソング《ファンク・フジヤマ》の歌詞は、日本語を片言話し始めた外人観光客が、日本の印象をキーワードで述べた形をとっている。
 昨年九月、ドイツ表現主義舞踊の旗手ピナ・バウシュが、彼女の率いるヴッパタール舞 踊団とともに二度目の来日をした。今回の演目《カーネーション》は、舞台を淡いピンク のカーネーションの生花で埋め尽くし、その花畑の中で、人間の生をテーマに、愛、苦し み、争いなどを演劇的要素を取り入れて表現した作品だった。母と子の対話の場面があり、「だから言ったでしょ」「いい加減にしなさいよ」と日本語で子をしかるダンサーの登場に、客席から思わず笑いのもれるひと幕もあった。
 この舞踊団から市販のビデオテープが出ている。その中で、各国から集まった団員の一人 一人が、自国の特徴を三つのキーワードで述べている。日本人の団員が一人いた。彼女は 「芸者、ホンダ、腹切り!」とさけんだ。オランダ人の親友が「オランダには風車とチューリップしかないと思われている」と口をとがらせる。自ら気軽に口に出したキーワードのはらむ危険性に、私たちはまだ気付いていない。

「ピナ・バウシュ
公演プログラムの表紙」

18 ホコ天で“かぶく”

 東京原宿の代々木公園前の歩行者天国を略してホコ天と呼ぶ。昭和四十年代半ばから 現在まで、ここからさまざまな若者の演奏グループやパフォーマンスグループが生まれ てきた。このかいわいを闊歩(かっぽ)する若者たちの服装は、竹の子族以来年々派手 になり奇抜さを競っている。そしてこのごろ、その奇抜さの中に歌舞伎の衣装やメークを取り入れる傾向が、ちらほら見えだした。もとはと言えば、アメリカのハードロック グループの化粧に端を発するのであろうが、日本のグループではっきりと目立ち始めたのは「聖飢魔ll」からだろう。
 民放の深夜テレビに、アマチュアグループの演奏を取り上げて人気の高い番組「いかすバンド天国」、略称イカ天がある。ここに、このごろ登場した「カブキ・ロックス」は、まさにカブキを意識したメーク、かつら、衣装で現れる。今風の歌と奇妙な風体。しかし、若者たちはけっこうイキイキしている。
 十七世紀初め、出雲の阿国が京都四条河原に現れて、長い数珠のさきに十字架を下げた異風な姿で踊った時、人々はこれを「かぶく」と呼んだ。歌舞伎の語源である。
 今、ホコ天で、イカ天で、かぶいた若者が思い思いの音楽を奏で踊っている。歴史が繰り返す。


「旺文社刊『ワォーッ!!』に登場した
『カブキロックス』」

19 和音奏でる水琴窟

 素焼きの甕(かめ)の開口部を下にして地中に埋め込み、小石や砂利で固定し、 上部の甕底に小さな穴を開ける。そしてこの装置を手水鉢(ちょうずばち)、つま り手洗い場の地中にセットすると、水琴窟(すいきんくつ)のでき上がりだ。穴か ら漏れ落ちる水滴が少しずつ甕の中にたまると、しずくの音がドミソの和音を奏で始める。ちょうど、古代ハープの音を聞いているようだ。
 江戸時代の町家の庭に作られた水琴窟の多くは雪隠(せっちん)の手水鉢に仕組ま れた発音装置であり、トイレの音の「印象」を美しい音で消す役割をになってきたと考えられる。
 このように、私たち日本人にとって、昔からトイレの音はできるだけ遠ざけたい音でもあるようだ。数年前から、大企業のオフィスや高速道路の女性用トイレに「不浄の音」を消す消音器がセットされるようになった。節水の目的もあってのことだが、騒音にまみれた生活でも平気な私たちの不思議な敏感さである。
 ベルギーのブリュッセル駅地下レストランのトイレは入るのにチップがいる。ちょうど昼食時。チップを集めている夫婦らしい二人が、トイレの入り口に置いた机の上に昼食を置いて仕事をしながら食べていた。入り口に並ぶ人々も気にとめていないようだ。
 ある音を心地良いと思うか、不快と思うか。土地によって、音が与える印象はずいぶん違う。

水琴窟の一例
上越市坂口記念館の
「水琴窟」

20 人間的な日本音楽

 日本の楽器のほとんどは、昔から、自分で弾いて音を楽しむためにあった。西洋の楽器は、いつのまにか演奏を人に聞かせるために芸術表現の手段として使われるようになった。だから、日本の楽器は洋楽器のように長期間の技術訓練をしなくても、ある段階まではすぐ弾けるようになる。そして、日本音楽は、ドレミの十二音を正確に出すことよりも、個々の楽器 や声の微妙なずれを生かして、豊かな音色をつくることの方に心血を注いできた音楽でもある。歌を伴奏する楽器は、人の声の高さに楽器の音高を合わせるから、同じ曲でも演奏者によって高さが変わる。それに、演奏者の呼吸を拍のよりどころとするから、拍の伸び縮みやテンポの緩急は当然と考える。とても人間的な音楽だ。
 今、私が顧問をしている邦楽部には、約三十人の学生がいる。ほとんどが、大学で初めて邦楽器に触れた学生たちだが、一ヶ月もすると結構音が出せるようになる。
 西洋音楽の教育で忘れられがちな「人を中心とした音楽のあり方」を、 日本音楽を通じて、有職故実(ゆうそくこじつ)や因襲にとらわれずに体 験させてあげたい。今度の日曜は第二回目の定期演奏会。現代の若者が、 どんな表情で楽器と遊んでくれるか。楽しみだ。

「箏を演奏する邦楽部の学生」

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