音のある風景 1-10
新潟日報連載 全50回 1989.9.22〜1990.9.14

1 蝉の声で夏を実感

 日本のどこに出掛けても、たとえ高層ビルの谷間でも、蝉(せみ)の声は夏の音の風景をより一 層私たちの肌に焼き付ける。もしも蝉の鳴かない年でもあれば「蝉の鳴かない夏!」などと新聞の 大見出しも登場し、同じタイトルで恐怖映画もできるにちがいない。
 この夏、学会を兼ねて西ドイツ、オーストリア、ベルギー、オランダの四カ国を回った。わず か一ヶ月の旅であったが、不思議なことに蝉の声を全く聞かなかった。確かに今年の欧州の一部は 異常気象で、寒い夏が続いていたけれど、大都会を訪れたわけでもなく、山の中の小さな町や、木 々に囲まれた小都市が多かったのに、八月上旬の暑い日差しの中でも山や木立は静けさを保ち続け ていた。
 私たちは、季節の移り変わりを自然界の音で知る。ウグイスのさえずり、カエルの声に虫たちの 声。そして雨音や雪雷…というように。私たちにとって当たり前の音が、似かよった風景の中で聞 こえてこないと、心落ち着かなくなってくるから不思議である。暮らしの中にある音感覚が、私た ちの心の部分にまで影響を与えているからであろう。日本の音を聞くと、その響きの中に風景が見 えてくる。

「鳥や虫の鳴き声を出す
竹笛のいろいろ」

2 日曜の朝は鐘の町

  ヨーロッパの古い町で、教会の鐘の音に浸ってみたいと前から思っていた。西ドイツの南部にある 小さな町ヴァイデン(Weiden)は、十四世紀の街並みがそのまま残る美しい町である。教会を中心に 街が形づくられ、市役所前の広場は週末になると夕涼みを楽しむ老若男女でいっぱいになる。
 日曜日の早朝、私はけたたましい鐘の音で目が覚めた。グワァングワァンと響くその音は、いく つもの音が前の音にかぶさるように、せわしなく鳴り響いていた。宿に近い教会の鐘らしい。間も なく、少し遠くの鐘も同じように威勢よく鳴り始めた。小さな町が一時、鐘の響きに埋めつくされ る。日本の鐘なら、一音が延々と続くのだが、この鐘たちは、短い間合いの中でさまざまな音の高 さとリズムを刻み、全体が響きのかたまりとなって身体をゆさぶってくる。時計を見ると午前六時 だった。
 五分も鳴り続けたであろうか、やっと迎えた静けさの中、私はもう少し眠ることにした。ゆうべ は遅くまで動き回っていたから。しかし、その望みもかなわず、七時、そして八時と再び大合奏は 始まった。
 私の生まれ故郷では、朝七時に村の有線放送が始まる。時々ハウリングするマイクにいらだちを 覚え、帰郷するたびにこの音をなんとかしてもらって静かな朝を迎えたいと思う。 ヴァイデンの鐘を聞きながら、早朝の有線放送をなぜか思い出してしまった。音色の点では比べよ うもないほど美しい鐘の音なのに…。

「ヴァイデンの教会の時計台」

3 歴史刻むカリヨン

 西ドイツの小さな町で早朝から起こされた鐘の音は、教会や市役所の時計台に設けられた「カリヨン」と呼ばれる組鐘アンサンブルだった。大きさの異なる鐘を十数個から多いときは五十個 近く組み合わせ、一つ一つの鐘の内側に分銅を取りつけたり、外側から金属のハンマーで打って 鳴らすこのカリヨンは、別名グロッケンシュピールとも呼ばれている。
 ベルギーの観光名所・ブルージュの町には四十七個の鐘を持つ有名な鐘楼があった。十三世紀 半ばに建てられたこの楼は、かつて役人たちの会議所として使われていたという。近代まで一人 の演奏者が鍵盤(けんばん)を弾く方法で鳴らされていたが、現在は、巨大なオルゴールの回転 筒のような円筒が回るとき、円筒の表面にある数多くの突起が鐘を打つハンマーと連結したワイ ヤーに引っかかって鳴る仕組みになっている。十五分ごとに鳴る直前に回転軸が始動する時、ギ イーッという音がする。子供のころに耳慣れた柱時計の音に似ていた。
 三百段余りの階段を登って間近に見るカリヨンの一つ一つには、その鐘が鋳造された年代が刻 まれ、鐘楼の小さな窓辺には、矢印とともに、パリ、ロンドン、アムステルダム、そしてモスク ワ…と大都市の名前も刻まれていた。七百年以上も鐘は鳴りつづけ、人々は塔に登り遠い地を思 い描いたのであろうか。町ごとに異なるカリヨンの響き。その音色の中に、過去の大作曲家の育った町が見えてくる。


「ブルージュの鐘楼の鐘」


4 鳴るのは6分遅れ

  ベルギーのブリュッセルに近い町、アールストに四日ほど滞在した。友人が私のため に用意してくれたホテルは、町の中心にある美しい外観の伝統的な威厳を備えたホテル であった。ベルギーで<伝統的>なホテルとは<バス・トイレなし>のスタイルなんだ と、フィリピンの友人は笑って話してくれた。各室にはおまけに電話がなく、さらにお まけに私の部屋は入り口の錠もこわれ、電灯も切れていた。
 ホテルの目の前に、立派な時計台があった。この時計が、どういうわけか不思議な時 刻になる。ふつう1時間を三分割ないし四分割し、その時刻の数分前にカリヨンが鳴り出 してその時刻に終わるか、その時刻から鳴り出して数分後にやむのだそうだが、この時計 は八時六分、十六分、三十六分、五十一分というようにいつも六分遅れなのである。毎回 奏でられる旋律が違い、三十六分の時に次に来る時刻の予告をする。
 ベルギー人で日本文化研究家のレア・ベートン女史を訪ねた折に、なぜ六分遅れを直さ ないかと尋ねてみた。彼女が笑って私に答えた。「だれも気にしていないからでしょう。 みんな時計の鳴るのなどいちいち聞いていないのよ」
 その晩、東京へ国際電話をかけようとして、ロビーの電話使用をフロントに頼みに出か けた。夜十時をすぎたころだった。しかしその答えは交換業務が終わっているので電話は もう通じない、というものだった。

「時計台を中心に形造られた
ベルギーの街」

5 和琴の調絃法紹介

  ベルギーではこの秋、日本文化の大々的な紹介が行われている。EC諸国で毎年行われる 「ユーロパリア」と呼ばれる文化行事に、今年初めてEC以外の国が取り上げられ「その国 が日本なのよ」と、日本文化研究家のベートンさんが目を輝かせて話してくれた。
 ブリュッセルの楽器博物館から私に会いたいと連絡があったのも、そんな時だった。日 本の箏(こと)の調絃(げん)法がわからなくて困っているという。この博物館は世界の 民族楽器収集の先駆としてよく知られ、私も訪ねようと思っていたところだった。
 昼すぎ、博物館に着くと何やら慌ただしい。私を呼び出したマイヤー博士も走り回って いる。ちょうどベルギー国営放送局のTV取材と重なったのだ。若い研究員の男性が、同行 した友人に早口で話しかけている。別館にある箏を一面持ってきて演奏するようにと言う のだった。どうもTVに出したいらしい。私は研究者で演奏家ではないからと断ったが、音 色がわかればよい、と無責任な答え。
 ともかく出かけた別館で見た箏は、何と雅楽用の箏だった。「越天楽」など管絃用の楽箏(がくそう)が三面、そして平安時代に歌の伴奏でよく使われた六絃の和琴(わごん)が一面。いずれも保存状態はひどく悪い。楽箏も和琴も独奏楽器ではないし…仕方なく「日本文化紹介」に徹して神楽歌の旋律の一部を弾き歌いしたのだが、収録を終えるとすでに七時を過ぎていた。そしてお礼にと、ジュースを一杯ごちそうになった。

「和琴の調絃法を
マイヤー博士に説明する筆者」

6 天正8年のケイス

 ブリュッセルの楽器博物館で見た日本の楽器の保存状態はひどく悪い。別館の床に並べられ た楽器はほこりまみれ、箏(そう)の足は折れ、爪(つめ)も紛失したままである。琵琶、笙(しょう)、三味線、胡弓(こきゅう)など古そうな趣の楽器たちが雑然と置かれ、机の上の段ボール箱の中には、あまり見たことのない形の楽器や、楽器の付属品がごちゃごちゃと無造作にほうり込まれていた。しかし、専門家がいなければ補修など無理な話であろう。
 博物館のマイヤー博士が「見せたい楽器がある」と、私を階段の踊り場へ連れて行った。 そこには、禅寺で使う大きなカネが置かれていた。このカネを、私たちはケイスとかキンとか呼んでいる。博士が知りたかったことは、ケイスに彫り込まれている文字や 数字の意味だった。「天正八年」「萬福寺」と刻まれたこの楽器は、名古屋に住む施主が寺 に寄進したものらしい。しかし、天正八年(1580年)と見つけて、私は心が浮き立つ思いが するのを抑えられなかった。当時は大友、大村、有馬の九州に住むキリシタン大名たちが、 ヨーロッパ文化を学ぼうと少年使節を派遣した「天正の遣欧使節」の時代である。もしかし たら、このケイスも使節団の船で運ばれたのかもしれない。日本でこの大きさのケイスを見つけ るのは難しいと伝えたら、研究員の女性が「日本人は何でも買って行ってしまうから、このカネのことは内証にしておいてね」と美しい目でチクリと言った。

「天正8年と刻まれたケイスと
筆者」

7 家々の壁には組鐘

  ドイツやオーストリアの郊外の町を歩いて印象深いのは、落ち着いた美しい配色の 街並みと無駄な音のない静かな環境である。そして、ふと見上げた家々の壁に組鐘( カリヨン)を見つけて感激することもしばしばだ。鐘は、屋根から突き出した小さな 塔の中に、ときには商店街のアーケードや店のディスプレーされた壁にも見つけるこ とができる。
 どの組鐘も、かつては時刻を知らせるために鳴らされたであろうし、今なお鳴り続 けている鐘も多い。店ごとの宣伝用の拡声音が通りを埋め尽くす日本の街と違って、 音響の少ない街並みでは、鐘の音の心地よいアンサンブルが通りを行く人々の足を止 める。そしてこの鐘は風景に溶け込み、かえって風景を一層引き立てているようだ。
 私が子供のころ、日本にもまだ似た情景があった。蒸し暑い夏、家の軒先につるさ れた風鈴。その涼やかな音色が、けだるい夏の暑さを一時忘れさせてくれたものだっ た。田畑のかかしとともに思い出される竹の鳴子は、記憶の中で今なおカラコロと澄 んだ音をたてている。日本庭園に設けられたシシオドシの竹筒が水をあふれさせて石 にぶつかる響きもまた、静寂を演出するにはもってこいの効果を作り出す。
 ヨーロッパの組鐘は、時を知らせるために機械仕掛けで鳴る。風鈴や、鳴子、そし てシシオドシは風や水の技で鳴る。人間が仕組むことのできない自然界の時の移ろいが、日本の響きの中に聞こえて来る。

「住居の壁につけられた組鐘」

8 音楽環境の隔たり

 国際伝統音楽会議の開かれたオーストリアの山あいの町シュラードミングは、 夏の避暑、冬のスキーと、西欧各地から観光客を集めている。石だたみの美しい 街の中心には、観光客目当ての土産物屋が並び、通りの一隅では民族衣装の若者 たちがバイオリンで民謡の旋律を奏でていた。その音楽が一休止すると、今度は 向こうの角から手回しのストリートオルガンのにぎやかな音色が聞こえてくる。 四十代も半ばの日焼け顔の男が、羽根のついた黒い帽子に、これもまた黒いズボ ンとベストをつけて、にこやかにオルガンを手で回し続ける。回し方でテンポが 変わり、その変化が温かい響きとなって私たちをホッとさせる。
 このころ、宿舎近くに定期的にやってくるパン屋さんは、日本の子供たちがピアノを習い始めるときによく使われる「バイエル」をテープで流してくる。「バ イエル」は、小学校の先生になるための音楽の試験曲になることも多いので、私の勤める大学でも学生たちが曲の修得に頭を悩ませている。そんな状況だから、パン屋さんのバイエルを聴く彼らの心境は随分複雑である。
 音楽が「音の流れ」や「響き合い」を楽しむ存在として独自の立場で発達してきた国々の伝統に接すると、私たちの音楽の在り方は全く違うのだと主張したと ころで、どうにも仕方のない音楽的環境の隔たりを感じてしまう。

「ドイツの街で見かけた
ストリートオルガン」

9 余計な解説は邪魔

 私たちはいつから「解説好き」国民になったのだろう。解説があまりにも多くて、 うっとうしいこともある。音楽についての解説は、せっかくの音の響きにマイナス になることの方が多いのかもしれない。
 オーストリアの国際学会で、美しい音楽映画を紹介した日本の独文学者がいた。 TV向けに制作された一時間余りの作品で、ヨーロッパの各地で生まれた歌曲「野ばら」 を集め歩いたドキュメンタリーだった。その数は百五十曲近く。大変な調査研究である。 番組の中でさまざまな「野ばら」が地元の人々によって歌われる場面が、何度も登場した。 ところが、歌い始めると間もなく解説者のコメントが入ってしまう。あるいは、歌の中途 でカメラはヨーロッパの風景へと移ってしまうのである。世界各地から集まった音楽学者たちが、これには皆驚いた。そして、「せっかく歌っているのになぜ静かに聞かせないのか」と不満を言った。
 しかし、考えてみると、日本のTVには実によくありがちな手法でもある。TVに限らず、 このごろの音楽界も解説ばやりだ。私も、邦楽器の演奏会の折に解説することがある。 箏(こと)の調絃や出し入れの間(ま)のつなぎのためだ。この間を早く解決して静かに聞きたいと思う。
 この秋、奈良で三百年の伝統を誇る「鹿(しか)の角切り」を見た。「サクサクと鋸 (のこぎり)の冴(さ)えた音が秋の空に気持ちよく響く」と解説にあったけれど、保存会の人の実況中継の大声で、角を切る音などちっとも聞こえなかった。

「学会の行われたオーストリアの
山間の町の風景」

10 音の感じ方は多様

 たまたま入ったレストランで、時計が夜の九時を知らせた。ドイツの古い小さな町の、こじんまりとしたレストランだった。時計の奏でる音 楽が何とも美しい。内部にオルゴールが仕組まれているのだろう。ちょ うど、昔のハープやチェンバロのように金属的な響きでもあった。他の 国々でも似た時計と出合った。どの時計も、美しいメロディーで時を知らせていた。ホテルでセットした目覚まし時計からも、やはり金属弦をはじくような音色が流れてきた。
 日本の柱時計はベーン、ベーンと時を打った。時を打つ少し前には、 ギィーッと歯車の音もした。歌舞伎の音具「時計」は、この歯車の音と 仏壇の?(きん)を組み合わせて音を出す。私たちの柱時計はメロデ ィーも奏でないし、決して澄んだ音色とは言えない。でも、これと似た 響きが日本音楽の中にたくさんある。三味線や琵琶の音色、お寺の鐘、 浪花節や演歌の声、お坊さんのお経の声などなど。
 民族によって異なる「音楽性」を一つの基準で比べることはとても難しい。
 美しい濁りの少ない音色で旋律を奏でることが、ある民族にとって理想 的に「音楽的」であると同時に、倍音の多い濁った音に「音楽的」な情緒を感ずる民族もいる。
 どちらの情緒もそれなりに理解できて楽しめるようになりたい。なぜならば、音楽は独立してあるものでなく、人々の生活文化、風土とともに形作られてきたものだから。

「美しい旋律を奏でる時計」

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