平成19年度―21年度科学研究費基盤研究(B)海外学術研究

課題番号19401013)

E.S.モースコレクションにおける日本音楽関係資料の悉皆調査」調査報告概要

茂手木潔子(上越教育大学名誉教授、有明教育芸術短期大学教授)

Key Words 

E.S.Morse Collection E.S.モースコレクション 

PEM (Peabody Essex Museum) ピーボディ・エセックス博物館

MFA (Museum of Fine Arts, Boston) ボストン美術館

WMCR (Whyte Museum of the Canadian Rockies) ホワイト博物館

Japanese Traditional Music 日本の伝統音楽

Japanese Traditional Sound Sources 日本の伝統的な音具

【要旨】

 本研究は、E.S.モース(Edward Sylvester Morse 1838-1925)が収集した日本の楽器、音具類、音楽関係資料について、モースコレクションの収蔵先であるボストンのPEM(Peabody Essex Museum)、MFA(Museum of Fine Arts, Boston)、カナダのWMCR (Whyte Museum of the Canadian Rockies) で行った調査報告である。調査のために、まず、モース著『日本その日 その日』全3巻の中に記録された1800年代の日本の音楽文化すべてを抽出し、モースの収集した資料と時代的に重なる部分もある葛飾北斎の作品ほぼすべても重要な参考資料と捉え、両者を重ねることで19世紀の日本の音文化の実態を明らかにすることを目的とした。

 調査の詳細な記録は、下記の研究紀要等で継続的に発表しているが、ここでは、おおまかな調査の経緯、調査結果明らかになったことなどについて報告する。

 2013年8月現在での本調査の研究報告は、以下のとおり。

(1)
「E.S.モースコレクションにおける日本音楽関係資料の悉皆調査」その1 

  『有明教育芸術短期大学紀要』2  2011年3月

   報告内容:研究目的、研究方法、研究経緯

  『日本その日その日』活字版と手稿の比較で判明した楽器図、演奏図の違い

(2) 「E.S.モースコレクションにおける日本音楽関係資料の悉皆調査」その2

  『有明教育芸術短期大学紀要』3 2012年3月

    報告内容:PEM所蔵楽器の特徴及び所蔵品楽器リスト  

(3) 「E.S.モースコレクションにおける日本音楽関係資料の悉皆調査」その3

  『有明教育芸術短期大学紀要』4  2013年3月

    報告内容:モースコレクションの楽器等と『日本その日その日』記述の照合結果

(4) 『モースと北斎 日本の音文化を描いた浮世絵師と博物学者』(有明双書)武久出版 2013年3月

    内容概略:
           モースと北斎の音楽学的関心の共通性

           北斎漫画に描かれた楽器、音楽場面の全リスト

           モースコレクションの日本音楽関係楽器・音具の全リスト

           北斎が興味を持った馬の鈴、モースが興味を持った木の響き

    書籍の目次

        Ⅰ なぜ北斎とモースなのか

        Ⅱ 北斎とモース、その近似性

            記録した内容の共通点

            構造まで描ききる姿勢

            未知なることへの探究心

        Ⅲ 北斎の描いた楽器と音楽場面

        Ⅳ 北斎と馬の鈴

        Ⅴ モースの記録した楽器と芸能場面

        Ⅵ 木の音、鈴の音---日本の音文化を象徴するもの---

          

        資料(1)『北斎漫画』に描かれている楽器と芸能場面 

        資料(2)モースコレクション日本の楽器リスト(1882年〜1923年まで)

 本書では、PEMの転載許可を頂いて、モース著『日本その日その』の元になった日記に描かれた楽器図、演奏図の原図の一部を、日本で初めて紹介している。

1.調査の目的

 本研究は、PEMおよびMFA所蔵のモースコレクションの調査に基づいて、19世紀半ばに焦点を当てた日本の伝統的な音文化の実証的研究である。モースコレクションの音楽に焦点を当てた資料調査は先行研究がなく、本研究が初めてである。

 調査研究の対象としたコレクションの範囲は、箏・三味線・尺八など、良く知られた一般的な楽器も含めるが、むしろ、日本文化の中にかつて存在した「音」を出す目的で作られたすべての発音具(市井で打ち鳴らされた鉦や鐘、祭の太鼓や行列を先導する拍子木、でんでん太鼓や砧・火打石・錫杖・馬鈴等)そして浮世絵に表現された演奏場面など、多様な近世末の音文化を調査の範囲とし、広い視点から所蔵品の悉皆調査を行った。

 E.S.モースの滞日記録『日本その日その日1~3』(平凡社、東洋文庫171・172・179、1970-1971 原題 “Japan Day by Day” 1917, Boston)の記述から判断して、コレクションには、庶民の音文化を実証する多くの資料の存在が予測できたので、本調査によって江戸末期〜明治初期の音や音楽文化の具体的な実態を示す重要な証拠を提示したいと考えた。

 モースの初来日は1877年6月18日。その後2回の来日を加え計3回来日した。『日本その日その日』には、日本文化の音楽的事実が豊富かつ詳細に記されている。小学館『モースの見た日本』の翻訳者である大橋悦子氏が「モースという人は、よほど当時の日本をまるごと大切にとっておきたかったのだろう。形として残らない多くの「音」までも、日記に詳細に記述しているのが注目される」と述べるほど、彼が記した数々の音文化の記録は、他の来日外国人の記述と比較にならないほど詳細克明である。

 江戸末期〜明治初期の日本文化に関する記述は、モース以外にも、講談社学術文庫1308『幕末日本探訪記 江戸と北京』(R.フォーチュン)、同1048『日本文化私観』(B.タウト)、同1005『ニッポン』(B.タウト)、同1312『モラエスの日本随想記』(W.deモラエス)、同『明治日本の面影』(小泉八雲)、同文庫948『神々の国の首都』(小泉八雲)などがある。しかし、モースほど具体的に音楽を記述した例はない。

『日本その日その日 1』からその記述例を数例示そう。第一章の冒頭である。

「彼らは実に不思議な呻き声を立てた。お互いに調子をそろえて、ヘイ ヘイチャ ヘイヘイ チャ と言うような音をさせ、時にこの船唄(若しこれが船唄であるのならば)を変化させる。」(p.3)

「たいていの人は、粗末な木製のはき物をはいているが、これがまた硬い道路の上で不思議な、響く音を立てる。」(p.5)

 彼は舟漕ぎ唄の声がアメリカ人の「歌」の常識とかけ離れ、「呻き声」や「雑音」「汽車の排出」に聞こえたと表現する。この記述からわかるように、当時のアメリカ人にとって、日本の「うた」はとても歌とは思えず、理解し難い響きだったようだ。この印象こそが、同時期にボストンから来た宣教師、メーソンの指導によって伝統的な歌唱法や発声法が矯正させられ、現在に至る音楽教育が開始された理由でもある。

 モースは、桐下駄の響きにも強い関心を示し、別の章では羽根突きの音にも同様の印象を述べる。桐下駄の音も羽根突きの音も日本文化の代表的な音でアメリカの音色とは大きく異なっていた。モースは楽器や音具の音色・音楽表現の独自性、発声法に言及し「音楽」のあり方の徹底的な違いなど「日本の音や響き」を的確に描写した。当時の音源のない現在、彼の記述を「実証性の高い一次資料」として学術的に分析する意義は大きい。

 モース・コレクションは、1980年代末「“モース” 三部作」として、『写真編 百年前の日本』『日本民具編モースの見た日本』『国立民族学博物館共同研究 共同研究モースと日本』が小学館から出版された。「民具編」では前述の大橋悦子氏が「モースの聞いた日本の音」(p.63)の解説を担当している。しかし、ここで掲載されている楽器も、琵琶・鼓・雅楽の楽器等いわゆる「立派な楽器」が中心で、滞日中に彼が興味を持った多くの音具は取り上げられていない。モースの日記を読む限り、日本の音文化は多様で様々な領域と関わっていたはずだ。

 調査の結果、たしかに、PEMのモースコレクションには、日記の記述と関連する具体的な資料が数多く含まれていたことがわかった。特に、木でできた楽器、金属でできた楽器は多く収集されていた。また、日記の手稿に書かれている図と活字版の図との違いも発見できた。特に楽器図は主稿の方が正確であり、刊行にあたって書き換えられた結果、図に間違いが生じたことも判明したが、なせこのように間違えたのかの理由はまだ不明である。収蔵品のリストは、後述する拙著『モースと北斎』に表で掲載しているのでご覧頂きたい。

2. 調査の概要

(1)日程

第1回調査 2007年9月22日〜10月10日 PEM, MFA 第1回調査
    PEM, MFA のモースコレクションについての情報入手
    Japan Day by Dayの手稿と英語初版本、平凡社本の比較
    MFAのモース関係資料調査、フェノロサ収集の北斎資料全調査

第2回調査 2008年3月23日〜4月6日 PEM, MFA 第2回調査
    第1回の調査資料をもとに、より詳細なコレクション調査
    日本滞在時のモースの手紙、著作物、日本とアメリカにおけるコレクション関係
    新聞すべてについての資料収集

第3回調査 2008年9月12日〜10月1日 PEM, MFA 第3回調査
    2回の調査で残された資料の調査
    モース自身ではなく、友人や関係者が寄贈した全資料の調査

 
第4回調査 2009年10月2日〜10月12日 WMCR 第1回調査
   手紙、写真、孫のキャサリンホワイトの日本滞在記の翻刻など
 
第5回調査 2010年3月2日〜4日 オランダの美術館調査
   ライデン国立民族学博物館、ハーグ市立博物館においてモース滞在時期と
    前後して来日したオランダ商館員の記録やコレクションの実態調査1回目

 なお、これらの海外調査以外に、海外調査前にはE.S.モースコレクションを初めて日本に紹介した、元国立民族学博物館教授の故守屋毅コレクションの調査、岐阜のIAMAS学長だった横山正氏のコレクションの閲覧を行ったことと、北米調査に加えてオーストリアのシドニーにおける国際学会での本調査関連の学会発表、オランダのシーボルトコレクションなど、同時期に収集された日本音楽関係資料の調査、イギリスのロンドン及びエジンバラにおける本調査内容の報告などを並行して実施し、調査のための準備、調査方法やプロセスの検証を行った。

(2) 調査対象の主な範囲

  PEM調査

    E.S.モースコレクションのすべての楽器及び発音具

    Japan Day by Day手稿

    日本滞在時の写真

    日本滞在に関する新聞記事(日本語、英語)

    日本滞在に関する日記以外のモース本人の記述資料

    日本滞在時にモースが家族に当てた手紙 

  MFA調査

    E.S.モース関係の全資料(内容は陶磁器が中心だったので報告省略)

    ビゲロー(William Bigelow)コレクションと、フェノロサ(Ernest Francisco Fenollosa)
    コレクションにおける葛飾北斎の作品

  WMCR調査(モースの孫、Catharine Whyteが同博物館に移管した資料)

    ミニチュアの楽器店など

    キャサリンの日本滞在記録(母宛の手紙として)

    モース関係日本語の新聞記事、

    モース直筆の遺言書、家系図、日本文化研究の英語論文など

  HG調査(Haags Gemeentemuseum)
    楽器部門における収蔵楽器調査、明治時代日本の楽器演奏写真の入手
  ライデン国立民族学博物館調査(Rijksmusem Volkenkunde)
    シーボルトコレクション等の収蔵楽器資料調査
 ビゲローとフェノロサは、モースが日本に紹介し来日した人物である。モースコレクション研究にとって、彼らのコレクションも広い意味でのモース関係コレクションとして対象に含めた。特に、この二人が収集した数万点の葛飾北斎作品はボストン美術館の主要な所蔵品として良く知られている。北斎はモースの滞在した時代の浮世絵師の中でも、対象を描く実証性の高い浮世絵師であった。楽器図や音楽場面の精密さ、楽器構造描写の正確さの点で、モースの記述と北斎の作品を照合すれば当時の音楽表現の実態が資格資料からも検証できるはずだと考え、調査の範囲に加えた。

3.調査結果

 今回の研究期間内に、PEM, MFA, WMCRのモースコレクションの音楽関連資料所蔵状況の実態を調査し、関連する新聞記事などもほぼ収集し終えることができた。そして、モース『日本その日その日』に描かれた音楽場面や楽器・音具の具体的な証拠を資料から特定し、文章の記述とコレクションを照合した。2013年の現在は、PEMで未整備のコレクションリストを、写真と寸法図を添えて、整理することを行なっている。報告書の「その5」(2015年3月刊行予定)で完成させることを目標にしている。

 今回の研究の意義は、非常に有名なコレクションであるにもかかわらず、音楽分野からの先行研究がなかったモースコレクションを初めて調査した点である。次に、『日本その日その日』を音楽学の研究対象として扱うのも、本研究が初めてである。加えて、モースの来日がきっかけでビゲローやフェノロサにより収集されて世界に知られるようになった葛飾北斎の作品に焦点を当てて、音楽学的に分析する方法をとっている点である。1980年代に葛飾北斎の作品を音楽学的に研究し始めた研究者には、オランダのO.H. Mensink氏がいらっしゃる。筆者の調査研究は氏の研究に負うところが多いことも申し添えておく。

 4.謝辞

 本調査にあたって多くの方々に大変お世話になった。この場にお名前を記して御礼申し上げたい。

 まず、Marty Gross氏には、PEM、WMCR調査のためのインフォーマント紹介および『北斎とモース』出版のためのモース資料転載許可申請など、研究の根幹に関わる部分でご協力を頂いた。北斎研究の第一人者で元太田記念美術館副館長の永田生慈氏には、ボストン美術館学芸員の紹介、太田記念美術館所蔵資料の全調査へのご協力などご尽力を賜った。アメリカ在住の作曲家で能楽師のDavid Crandall氏には、PEM調査への協力および資料作成に関するサポート、報告書の英文翻訳をして頂いた。PEM元学芸員のMidori Oka氏には、PEM調査の開始時からの一切の手続き、コレクションの基本データの提供をして頂いた。PEM元非常勤学芸員でモースコレクションの生き字引でもあるお二人、Gerald R. Marsella Jr. 氏、Keiko Thayer氏には、楽器等資料の実際の写真撮影、寸法測定の際に資料すべてを可能な限り用意して頂き長時間にわたる調査のサポートをして頂いた。M FA学芸員で日本美術研究者のSarah Thompson氏には、MFAにおけるモースコレクション調査および北斎全作品の調査への全面的な協力を頂いた。WMCR調査では、元博物館長Michale Lang氏および学芸員のLynne Huras両氏のサポートを頂いた。オランダ調査ではHaags Gemeentemuseum元学芸員のOnno Herbert Mensink氏のご尽力を賜った。ロンドン国際交流基金のディレクター、Junko Takekawa氏は、ロンドンとエジンバラにおける歌舞伎の黒御簾楽器に関する講演の場を用意して下さり、研究の中間発表をすることができた。当時上越教育大学大学院2年に在籍していた熱田遥さんは、初回の北米調査の助手としてPEMに同行し、様々な雑務を的確に処理して助けてくださったし、有明教育芸術短期大学教員の前原恵美氏にはPEMの伝統玩具の記録作成に協力頂いた。また同短期大学卒業生の山田夏実さんは、現在もPEM所蔵品を図に書き直す作業を担当してくれている。そして、最後に、今回の無謀とも言える海外調査を支えて下さった上越教育大学の科研事務ご担当者の方々に心から御礼を申し上げたい。今回の科研調査を実現できたのは、助成申請時点から教員を支えてくれた上越教育大学科研担当事務官の大きな支えがあったからである。

 本調査の報告に関しては、現在筆者が勤務する有明教育短期大学紀要での5回(現段階で3回を終了)および2013年刊行の小著『北斎とモース』がある。しかしながら、報告としてはまだ完全ではない。PEMでOka氏が作成したコレクション資料リストを全面的に作り直す大事な作業が残っている。楽器名、寸法、使用目的を整理し、きちんとした画像を添付した資料となるはずである。2014年中に終了する予定で、この資料の完成によって本調査を終了することになる。この資料を作成することにより、モースコレクションに興味のある若い研究者たちがさらに先へと研究を進めてくれることを希望している。