茂手木 潔子 MOTEGI Kiyoko
上越教育大学 Joetsu University of Education


おもちゃが奏でる日本の音-平成玩具考-

へるす出版『小児看護』1994.8月号~毎月1回連載

第8回 春を呼ぶ手毬の音色

手かがり手毬     

 新潟県栃尾市の油揚は、その分厚さと大豆の香ばしい味で良く知られています。この油揚げを買いに、上越からおよそ100km離れた栃尾に友人と出かけたことがありました。市内を散策のついでに、公共駐車場の近くの土産物店に入ってみましたところ、日本の伝統的な装飾に彩られた大小の手毬が店内の至るところに飾られているのに気がつきました。手毬の一つを何気なく揺らしてみますと、サラサラと音がするではありませんか。大中小どの手毬にも中に小さな何かが入っています。

 この地では、昔から三月の節句になると女の子のすこやかな成長と健康を願って、手かがりの手毬がおばあさんから孫へと届けられてきたのだそうです。手毬の解説書によりますと、この手毬は「昔、山里の女衆が紬を織った絹の残り糸を利用して作った」のが始まりで、「振るとからからと乾いた木の実の音が郷愁をさそい」「山里にわずかに残った伝統技術を受け継ぎ、手毬を通じて地域起こし」をするために、栃尾の棚村静江さんが中心になって会を作り再興したとのこと。

 関西あたりでも、新年にあたって女の子には羽子板と手毬、男の子には破魔弓が贈られます。無病息災、健康祈願の習慣なのですが、こちらの手毬の中には音を出すものは何も入れません。

 国立歴史民族博物館の岩井広實教授の研究によれば、手毬は宮中の()(まり)の儀式が手で遊ぶ形に変化したものだそうで、手毬を突く遊びが民間に伝わったのは江戸時代の中頃からとのこと。その理由として、「田舎で綿が作られ、木綿糸が紡がれ、木綿が織られ、木綿の着物が一般のものとなった」ことをあげています。どの家も手仕事として木綿を織るようになったので、織糸の端の切れ端で手毬を作るようになったとも書かれていました。 (岩井宏實『民具の博物誌』河出書房新社、1994増補版、pp.151-155)

 

手毬の音色

 棚村さんにお目にかかって、手毬の中に入れる木の実について詳しくお聞きするために再び栃尾を訪れました。

 中に入れるのは、数珠球、じしゃ、のらご、けんぽろ、はと麦、そして蜆の貝殻やもみ殻。昔は7種類の木の実などを取り混ぜて入れたそうですが、この頃は、ピスタチオの殻を使うこともあるとか。蜆貝の中に小さな石を入れることは、昔からよくあったと岩井先生も書いています。棚村さんが大事そうに取り出した木の実は、いろいろな大きさと形をしていて、どれもがキラキラと光っていました。そして、これらの木の実や貝が、素朴で慎ましやかな音を立てていたのでした。(図1)

 この頃の毬は、一辺が約3cmの立方体の紙箱に木の実を入れ、ゼンマイの綿でくるんでまるい形を作り、その上を糸で巻いて作るのだそうです。昔の手毬では、蓑虫のような形で少し大きめの網目をもつ「栗の木虫の殻」の中に、自然の入り込んだ種のようなものが音を立てたので、それを紙の箱の中に入れて使ったこともあったとか。

 「栗の木虫」といい、ゼンマイの綿といい、さらにその土地土地で名前がついた木の実といい、自然から生まれた品々によって匠まれた響きに、本来の玩具が持っていた最も根本的なコンセプト……身近な材料を用いて、素朴な方法で作り出され、それを作る人々に最も近い人が使うという考え方……を聞く思いがしました。

 シーボルトコレクション調査のためオランダのライデン民族学博物館を訪れた時、江戸時代の1809-1892年に出島のオランダ商館の倉庫係主任を勤めた、J.C. Bloomhoffと、J.F.Overmeer Fisscherが持ち帰った玩具の中に、兎や雀、鶏、銀杏、小槌などの形をして彩色された和紙のガラガラが収集されているのを見つけました。博物館の研究員は、この玩具が音を出すとは思っていなかったようで、私がそれらの音を確かめようと振ると驚いていました。どの音色も静かな響きで、しかも一つ一つのガラガラの響きが微妙に異なっています。この頃のガラガラに共通の単一な音色と違うこのさまざまな音色に、私は強く引き付けられました。栃尾の手毬の音色の中に、私はライデン博物館で聞いたガラガラの音を思い出したのです。再びライデンを訪れる時には、ぜひあのガラガラの音色を録音してきたいと思っています。

 栃尾でいただいた木の実を大事に持ち帰ったこの日の晩、分厚い油揚げに細切りの葱と味噌を混ぜた薬味を挟み火で炙って食べました。油揚げの味が最高だったのは言うまでもありません。

 

鳥の声

 春鳥、春告げ鳥、花見鳥、歌詠(うたよ)み鳥、(きょう)()み鳥、匂鳥、人来(ひとく)鳥、(もも)()鳥、黄鳥……なんとこれらの鳥の名前は皆ウグイスの別名です。日本人に愛されてきたことが、このように多くの別名を生み出した理由なのでしょうか。

 春の兆しを告げるウグイスの鳴き声を奏でるウグイス笛は、東京近郊の高尾山で売られているものが有名だそうですが、歌舞伎で使うウグイス笛もなかなか良い音が出ます。一管の竹筒から作られる単純な笛ですが、右手の親指と人差し指で筒の両側をふさぎ、人差し指をずらしながら管の一端を開放し吹き口から息を吹き込むと、息の入れ方の強弱でホーホケキョと鳴きます。実はこんな単純な笛でも、人差し指と親指のコントロールの仕方で1オクターブの音域を吹くことができます。ですから、何か余興をやらなくてはいけない時にはこの笛をポケットに忍ばせておいて曲を吹くことにしていますが、1オクターブ以内で収まる曲がなかなか見つからないのが悩みです。「オーゼの死」が演奏できるようになりましたが、宴の席で吹くわけにはいきませんし……いま工夫の途中です。

 

鳴らない鳥笛

 そんな理由から、このウグイス笛を持ち歩いているうちに、管の上に付いた鳥の飾りが取れてしまいました。ボンドでくっつけてありますが、これを機会に他のウグイス笛も買い求めてみました。ところが、新しく買った笛は鳴りが悪いのです。一つの笛など装飾の鳥のほうが本体より大きいくらいですから、ほとんど鳴りません。どちらも音に対して配慮せずに、形を優先して作られているため、このようなことが起こったのでしょう。もう一つ面白いのは、昔のウグイス笛は、下の部分が安定して置けるように作られているのに、新しいタイプはこの図では安定したように見せましたが、横にひっくり返ってしまいます。玩具といえども、過去の匠の技は、実にこまやかに音も形も考えられていたのに、新しい笛ではその良さを見つけることができず残念なことです(図2)

 どの楽器についても言えることですが、形にばかり気を使うようになって音そのものへの繊細な心配りが不在になるにつれて、楽器そのものも退化していきます。日本音楽の過去の楽器にはそうして遺物になったものがいくつもあります。結局、音の文化がないがしろにされるからなのでしょう。ウグイス笛のこの変化も、形のみに気を取られた浅薄な発想が原因になっていることは明らかです。この笛では、せっかく子どもに買っても、音が出ないのではすぐに飽きられてしまうでしょう。今この笛が全国の郷土物産店に出回っているのを見るにつけ、残念な気がします。何とか良く鳴る笛を作ってほしいものです。

 最近は見かけなくなりましたがウグイス笛には磁器でできた水笛もありました。胴体の中に水を入れて左側の吹き口を吹きますと、ヒョロヒョロと鳴り出します。この手の発音方法は水鳥と呼ばれる竹の笛に共通です(図3)。日本の竹製鳥笛には、この他にも千鳥、雁、鶏、カラス、鳩、ふくろうなどいろいろありますが、多くの笛は吹いて鳴らす鳥の声です。このような発音方法と異なり、外国の鳥声の発音具には、図4,5のようなものもあります。図4はアメリカのものと思われますが、木の胴と左部分の金属の栓のような部分との組み合わせになっていて、金属部分を指でつまんで回転させると、木の胴と擦り合わされてキュッキュッと音を出す仕組みになっています。音色は澄んでいて、チッチッという鳥のさえずりに似ているのです。

 円柱形の玩具(図5左上は中国製で、プラスティックで作られていますが、手で上下に振り動かすと、キュッキュッと音を出す仕組みで、この他にも猫の鳴き声のものもあります。羽を広げた大きな鳥(図5右下も恐らく中国製と思いますがブリキ製です。この鳥の玩具では、左側の金属はちょうどパン屋さんでパンをつかむ道具の形をしていて、この金属を押さえたり放したりすると、鳥の羽の蛇腹が開閉して羽の片側にあいた小さな孔から空気が出て音を出すように作られています。音色は、キューキューという音で、私たちにはあまり馴染みがありません。

 鳥の声を出す発音具にもさまざまな民族の発想の違いが見て取れます。