茂手木 潔子 MOTEGI Kiyoko
上越教育大学 Joetsu University of Education


おもちゃが奏でる日本の音-平成玩具考-

へるす出版『小児看護』1994.8月号~毎月1回連載

第7回 しんしんと……

しんしんと

 雪国の冬の日の朝のことです。いつもの朝なら近くの家々から聞えて来るはずの、人々の動き回るワサワサした音や、道路に集まった通学前の子どもたちの声が聞こえて来ない日があります。こんな日の朝はきまって大雪です。

 「しんしんと」降り積もった雪の日は、あたりのすべての音を吸い込んでしまったかのように、無音の世界を作り出します。清らかな静寂の体験は、こんな時でなければなかなかできません、東京と上越との2ヶ所で暮らし始めて11年、水道工事やガス工事のために道路に穴を開ける凄まじい音で朝の静寂を破られる東京、この喧騒の朝とは全く異なった冬の朝の体験は、感動的なものでした。

 南極越冬隊員だった鳥居欽也さんが「無音の世界」という講演で「文明社会から隔絶した極寒の地で経験する無音の時期を、日本人は強風や吹雪の音に聴き入り、それを無情の喜びとした」と述べていることが大脳生理学者角川忠信さんの論文「母音とやまとごころ」(サンケイ新聞社『正論』1978.1)に書かれています。

 たしかに、日本人は自然界の音を積極的に聴くのかもしれません。福井県出身の工学博士で童話作家の加占里子さんの作品『ゆきのひ』(福音館書店1966)には、しんしんと降っていた雪が、やがて家の屋根を「ぎしぎし」言わせ、吹雪の日は「びゅーびゅーごうー」と音を立てる様子が書かれています。でも、ロンドン郊外で生まれ育った童話作家ジル・バークレムさんの童話『雪の日のパーティー』(講談社1981)では、北陸地方と同じくらいの大雪の日の話なのに音は聞こえず「氷のように冷たい風がふきつけ」「雪は静かにふりはじめ」るのです。

 福井の大雪は、ラッセル車を止め、人々は線路を守りにシャベルを持って駆けつけます。そして、家では電気も消えたままで家族は不安げに父親の帰りを待つのです。でもロンドンでは大雪の日も雪の舞踏会を開こうと、主人公たちは一生懸命準備をします。雪の中に響くそりの鈴の明るい音と、雪が作り出す雑音にも似た音を捕らえる耳との間に、西と東の雪に対するイメージの明らかな違いが現れているように思います(図1)

 

紙風船

 冬になるといつも思い出すのは、私がまだ子どもの頃、富山から毎年やって来た薬屋さんのことです。薬屋さんが暮れに来たのか、年が明けてからだったかは定かでないのですが、昭和40年代半ばまで続いていました。母が備え付けの薬箱を取り出すと、薬売りのおじさんは中身の減り具合をチェックして精算します。そしてその後で、全部の薬を入れ替えて帰るのです。

 母の側に座って、ことの一部始終を見ている私に、おじさんが最後に必ず紙風船を2~3枚くれたことが思い出されます。紙風船は、膨らませると立方体になる四角い風船でした。薬屋さんが帰ると、私はさっそく風船を膨らませて突いて遊びました。静かな紙の音がしました。

 先日、富山出身の学生が、郷里の土産に「反魂丹」という富山の代表的な薬の名が付いているお饅頭を持ってきてくれました。菓子箱を開けると、中にあの懐かしい四角の紙風船が入っているではありませんか。何十年ぶりかで懐かしい紙風船の響きをまた聴くことができました(図2)。

 

お手玉・おはじき 

 寒い冬の季節は、子どもたちにとって、家で遊ぶ時間でもあります。この頃、ほとんど見られなくなってしまったお手玉や、おはじき(図3,4)。私のように、音の出る玩具に興味を持つものにとっては、これらの音も興味深い存在です。お手玉遊びの始まりは、すでに江戸初期に小豆を袋に入れて遊ぶ様子が文献に登場します。かつて大陸から伝えられた散楽の中にも、お手玉によく似た曲芸も描かれていますが、そんな芸が子どもたちに真似されたのでしょうか?

 袋の中に小豆を入れて作ったお手玉、「おてのーせ おてのーせ おーふりおとして おーさーらい」。上手だった姉がいつも難しいところまで進んでいました。上にあげたお手玉を摑む時のジャリッという小豆がぶつかりあう微かな音が、心地好い手触りとともに耳に残っています。

 お手玉の歌には、他にも明治時代から大正にかけて流行った「一番はじめは一の宮」や、「にっしん戦争」など、時代背景を思わせる歌もいくつかありますが、どのお手玉の歌も、歌のリズムやテンポが動作によって伸び縮みするのが普通です。この頃のように、歌うことだけが優先されて、動きを伴わない音楽では、アンバランスな拍子感覚やリズムの伸び縮みの面白さが消えてしまいました。この伸びたり縮んだりする拍子の感覚こそが、日本音楽の魅力だと思うのです。

 「おはじき」とはうまい名前を付けたものです。行為と目的とがこの一言に集約され、遊びの内容を的確に示しているのですから。おはじきの原点は、平安時代の貴族たちの遊び「弾碁」に始まると言われます。この遊びは、「碁盤上の台の上で碁石を弾き合う」遊び(宮田登「遊びと年中行事」江戸子供文化研究会編『浮世絵の中の子どもたち』p.230)とのことですが、碁石を打つ時の音の善し悪しは「囲碁」の重要な要素でもあり、碁石に良い石を選ぶのは音にこだわる理由が大きいからと聞きます。ですから、ガラスにとって替わられたおはじきも、原点のコンセプトからいえば、音には大事な意味があります。またこの音は、遊びの中にいる子どもにとって新たな意味を持つ音にもなります。音がすれば、ゲームの優先権ができるわけですから。でもお手玉やおはじきのようなかすかな音で楽しむことができたのも、周囲を静かな環境に支えられていた時代だからこそだったのでしょう(図4)

 音楽といえば、メロディーが出る楽器しか思い浮かべられなくなってしまったこの頃です。お手玉やおはじきのような単純な音が子どもたちの生活に戻ることはないのでしょうか?

 

糸電話の響き

 屋内の遊びに糸電話がありました。この糸電話も、実は音の出る玩具の応用形と考えられます(図5)仕組みは、「セミ」の玩具と良く似ていて、円柱の一端に張られた和紙やプラスティックの薄い板の中央から糸が出ていて、この糸と和紙との摩擦が和紙の振動によって音となります。セミの場合は、糸をぐるぐる回して音を出しましたが、糸電話では、筒の片側でしゃべる言葉が筒の口に張られた和紙に響き、弦であるところの糸を伝って相手の竹筒に届いていきます。

 楽器分類的には同じではないのですが、糸電話に似た発音具として、欧米の子どもたちが遊ぶ不思議な楽器カズー(Kazoo)があります。この玩具は、発音の仕方が糸電話と似ているだけではなく、声の音質が変換されることも、糸電話の仕組みに良く似ています(図6)

 カズーはそのルーツを辿ると、アフリカで使われていたミルリトン(mirliton)と呼ばれる発音具になります。このミルリトンは、もともと呪術的な意味合いを持つ発音具で、声を変えたり敵を怖がらせるための武器として使われてきました。アフリカでは部族によってさまざまな大きさや形がありますが、大陸の至るところに驚くほどの数のミルリトンがあるそうです。素材も、骨、芦、瓜科の植物、トウモロコシの茎、水牛の角などいろいろな材料から作られ、時には頭蓋骨からも作られたといいます。そして、霊界のメッセージを伝えるために死者の声の役割をも果たすのです。

 この図のカズーは、木製(上図)と金属製(下図)ですが、どちらも図の左側の部分に吹き口があり、口にくわえて声を出します。すると、表面の穴の部分に、薄いプラスチックの膜や金属の網が張られていて、歌を歌ったり話した声が、自分の声とはまったく違うビービーと雑音の混じった声になってきこえるのです。アメリカでは『How To Kazoo』と名前のついたカズーの教則本までできていて、さすが個人の人権を重視するお国柄、こんな単純な発音の道具にまで楽器としての権利を与えていたことがよく分かります。

 

 しんしんと冬の一日は過ぎてゆきます。もうすぐそこに近づいている春の陽射しと軽やかな鳥たちの声が、より一層心を浮立たせるのは、その前に「静」の時間があるからなのでしょう。無音の時間を過ごすこと。そして、無音の中に自然界の静寂や荒々しい響きを聞き取ること。この体験こそ、音の中に生活することの何倍も意味のあることと思うのです。

<参考資料> Barbara Stewart How To Kazoo Workman Publishing 、New York.1983.