茂手木 潔子 MOTEGI Kiyoko
上越教育大学 Joetsu University of Education


おもちゃが奏でる日本の音-平成玩具考-

へるす出版『小児看護』1994.8月号~毎月1回連載

第6回 消えていく羽根突きの音

()(おう)(づえ)

 毎年1月8日から14日にかけて、奈良の法隆寺金堂では仏教行事の修正会が行われます。新年にあたって前年の罪過を悔い改める法会なのですが、その願いの適う最終日((けち)(がん))には、厄除けの威力をもつ()(おう)(つえ)と呼ぶ木の杖で、柱や床を打って大きな音を立てます。そうして行を妨げようとする邪気や魔物を追い払うのですが、音が大きいほど魔除けの効果も大きいそうです。この頃は柱ではなく板などに思い切り打ち付けるので、杖の先は砕かれて飛び散りボロボロになります(写真)。音の凄まじさもさることながら、極度に敏感になった僧の感性が捉えた邪気を暗闇に感じて、思わず身震いしたくなるような光景です。

 新年や小正月の行事には、鬼がよく登場します。宗教人類学の藤井正雄氏によると、鬼にも「恐ろしい鬼」と「幸せをもたらす鬼」の2種類があるそうで(「鬼の祭り」第一法規出版『仏教行事歳時記 1月』pp.48-53.)、男鹿半島で正月15日に行われるナマハゲは代表的な存在でしょう(図?)

 かつて、社寺で行われる祭りや行事の折には、その地域に暮らす人々(年寄りから子どもまで)が皆参加してきました。そして、伝統的に続けられてきた行事のなかで、日本の音色を聴きリズム感を会得していたのではないでしょうか。

 ところが、高度経済成長期のはじまりとともに、第3次産業に従事するホワイトカラー族が全国的にその数を増し、共同体の在り方に大きな変化が起こりました。そして、娯楽の内容も共同体意識を作り上げる祭や行事の維持を目的とするのではなく、マスメディアを軸とする家族単位の個人的な娯楽に変化してきたことによって、日本の音色を体験する機械はめっきり減ってしまったといえます。でも年に一度、新年の数日間だけはその機会が残されているのかもしれません。

 

新春をことほぐ羽子板の音

 拍子柝と鐘の音色で終えた年の暮れに続いて、新たな年は羽根突きの軽やかな木の音とさまざまな鈴の音色で始まります。いつもは賑やかな商店街も、正月三が日はひっそりと静まりかえり、遠くからコーンコーンと羽根突きの音だけが聞こえます。

大森貝塚を発見して日本の近代考古学の先駆者となったエドワード・シルベスター・モースが、日本に滞在中に強い関心をもった羽根突きの音です。彼は1878年の日記で、この音を「クリック、クリック」と表現し、婦女子の羽根突きの様をスタジオで写真に撮ったり、自ら描いて記録したほど興味をもったのでした。

 羽根突きの歴史は古く、永享年間(1429-41)頃に公家たちの間で始まったといわれ、室町時代には羽子板を()鬼板(きいた)とか羽子(はこ)木板(きいた)とも呼んだとのことです。胡鬼とは羽のことですが、現在のように羽子板と呼ばれるようになったのは江戸時代になってからとのこと。かつては至るところで耳にした羽根突きの音も、この10年間にほとんど聞かなくなってしまいました。江戸の芸能文化を描き続ける画家、三谷一馬さんも次のように書いています。

 「元旦の朝に羽根突きの音を耳にすると、正月が来たと言う実感が湧いたものです。けれども私の住んでいる世田谷では、正月に着飾った娘さんたちが突く羽根の音を聞かなくなってから、久しくなります」(第2回 本條秀太郎の会「端唄」演奏会のプログラム)。

 車の通行が増えてきたことで、羽根突きをする場所がなくなってしまったことも原因の一つでしょうが、でもその理由ばかりではないようです。日本人の音の世界が明らかに変化してしまったのでしょうか。

 子どもの晴れ着売り場で見つけたぽっくりに、3万4千円という途方もない値段が付いていました。まるで伝統工芸のような外見に、すっかり日本人の日常から離れてしまった孤立した日本文化の有様を見る思いがしました。

 

新たな年に響く音それぞれ

 家々を廻る獅子舞の笛と太鼓、そして獅子頭を打ち合わせる音も、この頃東京では特別の場合でなければほとんど聞くことができません。

 獅子舞といえば、江戸の家々の門口を訪れて新年をことほいだ「越後獅子」がありました。越後獅子は角兵衛獅子と呼ばれ、稲刈りが一段落した冬から新年にかけて、新潟県の月潟村から江戸に赴いて芸能を披露し、江戸の初春(はつはる)の風物詩となっていました。頭に小さな獅子頭を乗せ、腰に(かつ)()のような太鼓を付けた子どもたちが、太鼓と笛の音で金の鯱や波の姿を表す芸能としての楽しさ、そして福を呼ぶ獅子の縁起の良さが加わって、角兵衛獅子は歌舞伎や舞踊作品の数々に取り入れられ全国的に有名になったのです。

 現在でも月潟村には、角兵衛獅子の伝統が続き、祭りに芸能を披露しています。ただ残念なのは、獅子が曲芸をする音楽の伝承がすでに絶えていることです。

 獅子舞が通り過ぎた路地には、男の子たちの遊ぶ独楽回しのブーンとヒューの入り交った音が聞こえてきます。風の音にも似た「鳴り(な )独楽(ごま)」は日本人の好きな玩具の一つでした(図)。独楽の胴の部分に穴が開けられ、回転すると穴を風が通り抜けて音を出すのです。上手に回すと、ヒューという音が出るので、音によって回し方の上手下手も決まるのです。東北地方にはこの種の独楽が多いのでしょうか? 玩具博物館に行きますと、宮城などのこけしの産地では木地玩具の鳴り独楽を多く見かけました。

 金属製の「チンチンごま」(写真)は、回し競べをすると、独楽同士がぶつかり合って音を立てます。その時の音が名前になったこの独楽ですが、この音は、鉄瓶の蓋の音に似ています。蓋の音というのは、お湯が沸くと鉄瓶の蓋が湯気で持ち上げられて、本体にぶつかってチンチンと鳴る音のことです。鉄瓶の蓋は、銀、錫、銅、鉛などを混ぜ合わせた「(さは)()」という合金でできていて、この響きは、日本音楽によく聞かれる響きの一つでもあるのです。

 

初詣の音色

 初詣から帰る人々が手にする破魔矢や絵馬に結び付けられた鈴の音も、新年の風景を引き立てます。これらの鈴の音は神道の鈴の音色と共通ですから、神社の厄除けや招福の品々に鈴をつけることで、神道鈴の持つ働きを与えているのでしょう(図)。鈴といえば私たちは容易にその形と音色を思い浮かべることができます。金銀の色をした球体の中央に輪を持ち、軽やかな音を立てる鈴。これが大方の日本人が思い浮かべるイメージでしょう。でも、鈴といってもアジアだけでいろいろな形と音色があるのです。たとえば、インドの2種類の鈴は日本の鈴とずいぶん違います(図)。大きい方は、まるで魚の顔のような形をし、また、小さい方はインド製の暖簾(のれん)やカーテンなどの下の部分に数センチの間隔で取り付けられていて、暖籐やカーテンが動くと軽やかな音をたてるのです。この魚の顔をしたような鈴は、日本の仏教寺院でも使われていました。仏具事典などで「(きん)(によう)」と呼ばれているのがこの形の鈴です。インド人もとても鈴が好きな民族のようで、踊りを踊る時には両足に小さな鈴を一杯取り付けた紐をぐるぐる巻いて鈴の音でリズムをとります。また、ブレスレットにも、鈴がついているのをよく見かけます。音色は日本の鈴よりも深く低い音で、この音色の違いにと土地土地の好みの違いが聞かれます。

 

長田さんの開運ポッペン

 初詣に神社で売られている品々には、その土地の主張が現れているようです。兵庫県姫路市の長田神社では明治以来、縁起のよいポッペンの音で福を招く習わしがあり、長さ35cmあまりもある瓢箪型のポッペンが売り出されています(図)

 ポッペンは、喜多川歌麿の浮世絵「ビードロを吹く女」でも有名な発音玩具ですが、細いガラスの筒から息を吸い込みそして離すと、球形部分のガラス面が振動してペコンと音を出すおもちゃです。息を吹き込んで鳴らすタイプと2種類がありますが、ポッペン、ポコペンなどと呼ばれ、明治20年代から30年代にかけて関東や京阪神で大流行しました。私が始めて手にしたポッペンは、兵庫県三宮駅近くの手作りガラス店で友人が買ってきたものですが、長崎や神戸など、江戸時代から明治にかけてヨーロッパとの貿易が盛んであった地には、その名残の品がまだ数多く見られます。このポッペンもその一つなのでしょう。ポッペンの音出しには、なかなか勇気が要ります。ガラスが壊れそうなほど薄いので、かなり緊張して出すのですが、音の出た時はとてもほっとするのです。こんな素朴な音を楽しむからこそ玩具の楽しさがあるのでしょう。音を出すおもちゃだけを取り上げてみても、高度経済成長とともに素朴さを失った子どもの世界に不安を覚えます。