茂手木 潔子 MOTEGI Kiyoko
上越教育大学 Joetsu University of Education


おもちゃが奏でる日本の音-平成玩具考-

へるす出版『小児看護』1994.8月号~毎月1回連載

第5回 拍子柝とともに去りゆく年の暮

杵の音

 異常なほど暑かった今年も、いつの間にかもう12月。勝手なもので、振り返ってみれば懐かしい夏の暑さです。昨年の冷夏と打って変わった今年の猛暑は日本中に豊作をもたらしたようです。

 和歌山や名古屋にみられる「米搗き車」のおもちゃ(写真)。もともとは、水車が回転すると杵が動いて米を搗く仕掛けが、おもちゃに取り入れられたものですが、このおもちゃは、手前の部分に紐を付けて引っ張ると、足の付いた3本の細長い杵が上下に動いて下の板を打つ仕組みになっています。板を打つ音がなかなか良い音で、“かたかた”と響くのです。

 そういえば、この頃は見かけなくなりましたが、私が子どもの頃には、やっと歩き始めた子どもが押して遊ぶ木製玩具の「手押し車」(写真)があって、前に進むと「かたかた」と音をたてました。このおもちゃは、音そのままに「カタカタ」と呼ばれていたように思います。この「カタカタ」が米搗き車の音の出し方と同じで、何本かの細長い板の上には動物の形が付いていて、押す時に交互に上がったり下がったりしていました。

 金沢には1830年頃、加賀百万石の前田藩の時代に発案された「もちつき兎」(図)があります。糸を引っ張ると兎が杵を持ち上げて臼を搗く動作をするものです。もともと中国の昔話から発想が生まれたこのおもちゃですが、音がとてもかぼそいので、子どものおもちゃというよりも、大人のための趣味玩具なのでしょう。でももしかしたら、昔はもっとしっかりとした音でペッタンペッタンと臼を搗いていたのかもしれません。こういうおもちゃを見ると、日本人の日常生活を模倣することで、おもちゃが生まれてきたことがわかります。そして、「米搗き車」も「もちつき兎」も、米作りとともに生活しきてきた私たちならではの発想から生まれた発音玩具といえましょう。

 餅つき兎が住んでいると思われた月の世界にも、とうとう日本女性が宇宙飛行士として出かける時代になってしまいました。これからの子どもは、なぜ兎が餅を搗いているのかわからなくなってしまうのでしょうか。

 

ぱたぱた

 数年前、富山に出かけた時、昔懐かしい玩具と但し書きのついた「ぱたぱた」を見つけました(図)。子どもの手押し車「カタカタ」よりマイルドな音なので、こんな名前が付いたのでしょうか。この玩具、所によっては「かったんこ」とも呼ばれています。取っ手を持って、板を縦に並べた後で、取っ手をくるりと回転させると、不思議なことに、それぞれの板が回転しながら下に落ちていく“からくりおもちゃ”です。その時に、小さくぱたぱたと音がするのでこの名があるようです。

 いつ頃から日本にあるのかはわかりませんが、イギリスにも同じ仕組みの玩具があるそうです。でもイギリスの玩具は両面の絵が違っていて、板が回転すると別の絵が出てくる仕組みだそうです。でもこの「ぱたぱた」には絵が描かれていません。それに「ぱたぱた」と名付けられているのは、昔の「ぱたぱた」は、もっとはっきりした音を立てたのかもしれません。(参考写真:ドイツ製のパタパタ)

 

板獅子

 「ぱたぱた」のように板と板が打ち合わせられる音を楽しむ玩具もいろいろありますが、全国どこでも見られるのは獅子頭でしょうか、獅子舞いの時、獅子の口の部分を打ち合わせるには、この音が厄除けの効果があるからですが、子ども向けには小さな獅子頭も全国で売られています。

 山形県の庄内地方には、慶長六年(1601)に始まる鶴岡の城下町で売られていた板獅子がありました。神社や仏閣の祭礼縁日に売られたこの獅子は、赤と黒との雌雄一対(図)で、角のあるしゃもじのような形をし、取っ手を持って上下に振ると、獅子が口をパクパクして音を出す仕組みになっています。ここに紹介した雌雄の板獅子(写真)は戦後復元されたものですが、鈍く素朴な音を出します。

 面白いことに、近年始まった、土佐の「よさこい祭り」で打ち鳴らされる新案の鳴子の形が板獅子に良く似ています(図・写真)。朱と黒と黄の色の組み合わせも、庄内の朱と黒と金の色合いに近いのですが、違うのは、耳の付いた獅子頭の部分が3本の細長い棒でできていて、ちょうど「米搗き車」の杵のようでもあり、取っ手を上下に振ると、鋭い音を立てることです。赤いはっぴ姿の威勢のよい、大勢の娘さんたちが手に手にこの鳴子を持って打ち鳴らす夏祭りには、庄内の板獅子の響きとはまったく違った強い音の渦で夏を盛り上げています。

 

ぽっくり

 近くのスーパーマーケットで買い物をしていたら、カタコトと軽やかな音が聞こえてきました。ふと見ると、まだ就学前らしい女の子の駒下駄の音でした。その子はいつもこの下駄を履いているらしく、だいぶ歯も磨り減っていました。いまどき、珍しいなと思いましたら、隣にいるまだ若いお父さんは雪駄を履いていました。

 この頃は、七五三の時ぐらいしか見られないのですが、昔は暮れから正月にかけて「ぽっくり」を履いた少女の姿は普通の風景の一コマでした。12月も半ば過ぎると、新年の「ぽっくり」を母が揃えてくれたことを良く思い出します。今度はどんな絵が描いてあるんだろうと、とても楽しみでしたっけ。「ぽっくり」の底には小さな鈴が入っていて、一足(ひとあし)づつ歩くたびに下駄が地面を打つ音と一緒に鈴も小さな音を立てます。(写真)この可愛い楕円形の下駄「ぽっくり」という名前も、実は歩くときの音からきているのです。

 

拍子柝(ひょうしぎ)の音で暮れるこの一年

 車の音も聞こえなくなった夜の家々の間を、通りの向こうから、火の用心の拍子柝の音(図)が聞こえてきました。窓のすぐ下で鋭く響きながら、音はだんだんと遠のいていきます。「ひのよーじん」と昔から変わることのない抑揚で延ばされた声がすっかり聞こえなくなっても、気の音だけはいつまでも辺りにその響きを落としています。

    

「火の用心。御用人(ごようさ)」も人忍ぶ……

    「小春か、待ってか」「()兵衛(へえ)様早よう出たい」

と気をせけばせくほど廻る(くるま)()の……

 

 歌舞伎や文楽で良く知られている、近松門左衛門の浄瑠璃(じょうるり)心中(しんじゅう)天網(てんのあみ)(じま)」のクライマックスの一部です。小春が恋人治兵衛とともに心中への逃避行を決意して、(くるわ)大和屋(やまとや)をでる時の場面なのですが、この時舞台に響く音は、火の用心の拍子柝と、この拍子柝のリズムに合わせて注意深く開けられていく木戸の(きし)む音です。「ひのよーじん。ごよーざー」というゆったりとした声とは相反するような木の音色の明快さが、緊迫した場面展開に効果的に使われます。(浮世絵)

拍子柝の音色はこの他にも伝統芸能で重要な役割を果たしています。代表的な例としては、歌舞伎の舞台で使われる合図の音としての拍子木(柝頭)でしょう。出演者が集まったことを皆に知らせてチョーンと打つ。そろそろ舞台が開くことを知らせるチョーン、そして、いよいよ幕が開く時のチョン、チョン、チョン………と段々に細かく刻むリズム。さらに、舞台転換の合図も拍子木の一打によってすべて行われるのです。そう言えば、祭御興の先頭にも、拍子木を手にした先導役がいました(浮世絵)。日常生活の中で耳慣れた拍子木の音は、日本の芸能の世界で欠かせない音として行き続けているのです。ちなみに、歌舞伎という演劇空間を、歌舞伎の人々は「世界」と呼びます。歌舞伎という芸能に携わる人々にとって、舞台は日常の理想世界であり、したがって、ここに表現された音色の世界は、彼等が大事にしてきた伝統の音色なのです。

 どんなに西洋の音楽が一般化したといっても、一年の最後に、再び日本の音色に戻るということは実におもしろいではありませんか。

 年明けも間近な12月31日の夜、京都の八坂(やさか)神社では、新しい年に使う浄められた火を昔ながらの方法で起こす「おけら参り」という儀式がはじまります。板の上で、細い棒をキリで穴を開けるように擦り合わせて火を起こすのです。夜も更けてあたり一帯が寝静まった頃の、静かな静かな木の音です。

 年の瀬に聞こえる木の音の数々。もうすぐお正月。羽子板の用意もできました。来年も良い年になりますように。