茂手木 潔子 MOTEGI Kiyoko
上越教育大学 Joetsu University of Education


おもちゃが奏でる日本の音-平成玩具考-

へるす出版『小児看護』1994.8月号~毎月1回連載

第4回 魔除けの音色

 秋に鳴く虫の声も冬が近いことに気づいたのでしょうか、いつしかその泣き声を弱めていくようです。

 日本人ほど、虫と日常生活とのかかわりが深い人々はいないのではないでしょうか?虫の声で刻々と移ろいゆく時の流れを聞き分け、外気の温度の変化まで知るのですから。

 いまでこそ、都会はコンクリートジャングルになり、自然の土や石ころを探そうにも一苦労。虫の声も街の雑踏でかき消される日常ですが、それでもなんとなく雨模様の夕刻に聞き耳をたてると、いろいろな虫の声がしていることに気づきます。

 かつて先人たちが自然と共に生活していたころ、「虫狩り」とか「虫選び」とか「虫合(むしあわせ)」とかの娯楽があって、いろいろな虫を持ち寄っては、その泣き声を競い合ったとか。いまでも江戸浄瑠璃の《清元(きよもと)》には「虫売」の曲が残っていますから、当時の市中はずいぶん静かだったのでしょう。(浮世絵 虫聞き)お(こと)の曲や長唄にも虫にまつわる曲はけっこう多いのです。箏曲(そうきょく)には“虫の()”という文字どおりの曲があり、箏の旋律の中に、松虫のチンチロリンに似た音色やリズムが何回も出てきます。

 でもこのように泣き声を楽しむばかりならよいのですが、稲に付いて蝕む悪い虫もあり、農村では晩秋の稲の刈り入れ時には「虫送り」といって、作物の害虫を取り除くために松明をつけ、鉦や太鼓を打って村はずれまで虫を送る行事もありました。この時打つ太鼓は、薄い円柱型で両面に皮が付き、吊り下げて桴で打つタイプです。また、鉦はフライパン型の真鍮製の打楽器が使われました。ドンジャン、ドンジャンとけっこう賑やかな音の行進だったことでしょう。

 

写真 上越市桑取谷の鳥追い行事

   (撮影:筆者)

 

でんでん太鼓     

 稲作が日本の主要な第一次産業であった時代、日本中に子守をする十代の女の子たちが大勢いました。まだ幼さの残る彼女たちが、ぐずる子どもたちに手をこまねいていた様子は、各地の子守唄の歌詞からもよくわかります。

   

ねんねこ しゃっしゃっりませ

   寝た子の かわいさ

   起きて泣く子の ねんころろ つら憎さ 

ねんころろ ねんころろ         (中国地方の子守歌)

 

子どもを寝かしつける時、彼らが手にする楽器がありました。

   ねんねんころりよ おころりよ

   坊やはよい子だ ねんねしな

   坊やのお守りは どこへ行た

   あの山越えて 里へ行た

   里の土産に なにもろた

   でんでん太鼓に しょうの笛

 

全国的によく歌われた子守歌です。子どもをあやす時、子守が手にしていたのは「でんでん太鼓」と「しょうの笛」。「しょうの笛」(写真)は雅楽のリード楽器の「笙」ではなく、伊勢参りの時などに買ってきた竹笛のようです。そして「でんでん太鼓」。豆太鼓(写真)とも呼ばれたこの小さな太鼓は、奈良時代から続く楽器の歴史をもち、その音色は赤ちゃんを災いから救う響きでした。

 長野県大町市にある国宝の仁科神明宮には、宮参りの折に赤ちゃんの幸せを祈願するお守りの絵馬が売られています。絵馬では、御包(おくるみ)にくるまった赤ちゃんの脇に、三つ(ともえ)模様のでんでん太鼓(写真)が置かれています。また、日本橋の水天宮は安産の神様を祭っていますが、ここのでんでん太鼓(写真)は新しくて木製なのに、この太鼓にも三つ巴の模様が書かれていました。この三つ巴の模様は、韓国の太鼓にもよく描かれる図柄で(図)、日本では、神道系の太鼓に使われてきました。

 でんでん太鼓は、奈良時代に中国大陸からきた舞楽とともに伝わった(ふり)(つづみ)を起源としますが、中国ではすでに周の時代(B.C.12世紀頃~B.C.3世紀)にあった楽器とのこと。舞楽の振鼓は、木製の胴に鋲で革を止めた直径7-8㎝の小型の太鼓を直角に2つ重ね、それぞれの太鼓に、革を打つ小さな球が紐で吊り下げられている打楽器です。柄を回転すると、球が革を打って音が出るのです。

 昭和40年代ころまでのでんでん太鼓には、和紙でできたものが多く、福岡県の甘木のでんでん太鼓は(写真)大きくて「ばたばた」とも呼ばれていました。紙のでんでん太鼓の音色が「ばたばた」と聞こえるから、こう呼ばれるようになったのでしょうか。太鼓の鼓面が大きいと、深みのある良い音がするのです。

 残念ながら、昭和40年代以降に土産物として売られはじめたでんでん太鼓では、こんな音色の魅力をもった品にほとんど出会えません。音へのこだわりを忘れて、形だけの伝承になってきていることは寂しいことです。

 

犬張子の背負った振鼓

 東京の土産物の代表「犬張子」(図)は中国から伝来した振鼓に似たでんでん太鼓を背中にしょっています。「犬張子」も子どもの魔除けですが、太鼓を打つ球は小さい鈴で、こんな音色への気配りにも、かつての音のこだわりが感じられるのです。

 地方によっては、振鼓のように太鼓を2つ重ねたでんでん太鼓もあります(図)。たとえば図3のでんでん太鼓は、雅楽で使う(かつ)()型の太鼓と、舞楽の大太鼓(だだいこ)を重ねた形をしています。そして大太鼓のほうだけに、豆や木球が付いていますが、上の羯鼓の中にも小石が入っていて、柄を振ると中でコロコロと音を立てるのです。このでんでん太鼓の中央の絵には、片面に振鼓を背負って犬張子、もう一つの面には小鼓を背負った猿回しの猿が描かれています。

 

さまざまな振鼓      

 一方、チベットの玩具のなかにも振鼓があります(図)。半円形の胴に革を張って、革が外を向くように胴をつけ合わせ、紐で固定した楽器ですが、皮を丸めた球が付いていて、鼓を回転させると音が出ます。チベットで「ダマル」と呼ばれるこの振鼓、実はラマ教の楽器なのです。儀式で使うのはもう少し大きいのですが、大きな違いは、胴の部分にヒトの頭蓋骨を使っているのです。現在でも、ラマ教の儀式で頭蓋骨胴のダマルが使われることもありますが、いまはほとんどが木製だそうです。

 ドイツの旧西ベルリン市の中心地にある教会の一隔には、第三世界の援助を目的とした民芸売り場があります。そこで、アフリカのでんでん太鼓(写真)を見つけました。大・中・小と3種類の大きさがあって、大きな太鼓は直径16㎝もあります。ほとんどなめしていない動物の皮を薄い胴に貼り付け、球の部分は木片が無造作に瓶の形に削られていました。音は低く湿った音で、日本の和紙の音色とはずいぶん違うものです。

 

虫切りの鈴

  子守の少女が鳴らしたもう一つの打楽器には、鈴もありました。明治時代の記録写真には、神道の鈴を手にした子守の姿があります。この写真からも鈴の音色が魔除けを象徴していたことがわかります。ですから、いまでも、子どもをあやす円柱形のガラガラの中に鈴が入っているのです。悪い虫は稲の害虫ばかりでなく、医療事情が発達していない時代には、寄生虫で病にかかる人も大勢いました。親たちは、大事な子どもたちが回虫のせいで虚弱になる虫気(むしけ)にかからないよう、護符を張ったり神仏をお参りして祈ったものです。

 日本各地の寺社の土産に必ずといってよいほど鈴の類があるのは、魔除け、厄除け、安全祈願の意味であることはよく知られています。土地によって工夫を凝らした土鈴の数々、また、どんな小物にも結び付けられた鈴。神社仏閣参詣の帰り道、下向する人々の流れは、鈴の音のうねりとなって、山間にこだましたと言います。山梨県甲府市の金桜神社の土産物には、ずいぶん昔からの鈴があります。5つの小さな土の鈴を結び合わせたもので、「虫切の鈴」(図)と呼ばれていました。

 このほかにも、江戸時代、道中を歩く馬子たちが(つつが)(むし)に会わずに安全な旅行ができるように持っていた「馬子鈴」(写真)。この鈴は鉄、銅、鉛などを混ぜ合わせた合金で作られ、穏やかな心地よい音を出します。インドでお坊さんが旅する時に毒虫を払うために持ち歩いた金属輪を持つ杖は、仏教では(しゃく)(じょう)という楽器になってガラガラと振り鳴らされ、山伏の山越えで杖の役も果たします。馬子鈴も錫杖も、どれもみな雑音の多い音ですが、聞くと心が落ち着く音なのです。

 幼児が入浴する時に、お風呂に一緒に入れて遊ぶブリキの金魚があったのを覚えている方も多いことでしょう(図)。あの金魚もガラガラになっているのをご存じでしょうか。

 なぜ、お風呂で使う玩具に鳴る仕掛けが必要なのか……水から幼子を守る厄除けの意識がここにもあるからなのです。