茂手木 潔子 MOTEGI Kiyoko
上越教育大学 Joetsu University of Education


おもちゃが奏でる日本の音-平成玩具考-

へるす出版『小児看護』1994.8月号~毎月1回連載

最終回 発音玩具の復権を求めて

幅広い単旋律

この頃、世界中で人気の音楽があります。それは、キリスト教の声楽「グレゴリオ聖歌」と、仏教音楽の「声明」です。グレゴリオ聖歌は、ローマ・カトリックの声の音楽で、その後のルネッサンスやバロックの声楽曲を生み出した原点にあり、近年イギリスのポップスグループの作品に取り入れられて、世界中の若者の関心を引くことになりました。

その影響か、あるいは1970年代後半に始まるエスニック・ブームの流れを受けてか、90年代に入ると日本の声明人気が急激に高まってきました。93年に日本武道館で行われた千人の僧侶による声明コンサートでは、定員1万人の会場が満席になり、キャンセル待ちの聴衆であふれる盛況ぶりで、この異常人気はその後ますますエスカレートするばかりです。

 グレゴリオ聖歌も声明も、ともに神仏に対して供えられる音楽であり、一本の旋律の歌ですが、人声の自然な音域と発声で表現されます。とくに声明では、歌い手の声質が異なっていても統一せずにそのまま生かしますので、玉虫色のような声の帯がたゆたう音世界を作り出します。この声明「幅の広い一本の旋律」の流れは、しばしば非常に高い鳥の声のような響きを生みだします。僧侶の声の集合から生まれた高次の僧音が響くためですが、お堂の中で聞こえるこの響きは、コンサート会場や教会でさらにくっきりと浮かび出します。いまはやりのモンゴルの歌唱法「ホーミー」との共通点でもあります。声明の声が、このような新たな響きを作り出す理由は、男声の低い声に含まれたさまざまな周波数のためと考えられています。

 

ヒーリング・サウンドと蝉声

声明声(しょうみょうごえ)の特徴は、蝉の鳴き声との共通点で注目され、平安文学の中でかつて「せみごえ(蝉声)」とよばれたこともあり、その後、浪花節から河内音頭、演歌の声に至るまで、日本の「声」の代表的な特徴となってきました。さらに、「蝉声」に例えられた声明は、最近「心の疲れを癒す音」、つまりヒーリング・サウンドとして、現代のストレス時代に生きる人々に注目され始めたのです。

少し前、植物も音を発して会話をするという仮設を立証するために京都の木深い寺の木々に集音装置が付けられた報告をTVで見ました。雷鳴の後に木々の発した音を聞いて、まるで声明の声をコンピュータで高音域に変換したような音であることに驚きました。もちろん、音響学的にこれらの音質相互の共通点を調べたわけではありませんが、多様な周波数で構成された声明ですから、木々の声との共振も有り得ます。それに本来、声明の理念は自然界との共和でもあるのですから、声明声と自然音の共通点は充分考えられます。そしてこの声明のもつ音色の魅力は、日本の楽器の音色の特徴と共通し、さらに、伝統玩具の雑音的性格の強い音が、楽器や音に現れた「日本人の音色」を基盤とするものであると私は考えています。

 

同時に鳴るさまざまな音 

 ほとんどの日本の楽器や発音の道具は、いろいろな声が集まって幅をもった音色を作り出します。青森県で真冬にその年の豊作を祈る行事「えんぶり」で使う「ドーサイエンブリ」は、実に不思議な楽器です。長さ1m10cmの棒の頭部に、鳴子,鉄の輪、円盤、金属板を曲げたものが取り付けられ(図1)、踊りながら棒を地面に打ちつけると、竹と金属音が混じって鳴るのです。鳴子は稲作文化の象徴、鉄輪と鉄板はおそらく、山伏の使う錫杖の発想でしよう。ここにも、さまざまな音色が一緒に鳴り響く世界が現れます。

また日本の鈴は古いものほど小さな鈴を幾つも吊してシャラシャラと鳴らします。神社の神楽舞の鈴がそうですし(写真)、浜松の楽器博物館で目にした土鈴もまた一つ一つに紐を付けた鈴を15個以上も束にして出来上がっていました(図2)。同じ鈴を数多く集めて鳴らすことによって、音色を多様にする考えがあるのでしようか。青森県に伝わる民間信仰の「おしらさま」にも、たくさんの鈴が首飾りのように巻かれていました(図3)

 

楽器の原点としての玩具

「さまざまな音が一緒に鳴る」考えは、おもちゃの世界にもしっかりと息づいていることを、鈴、がらがら、ピーピー(がらがらつきの笛・前回の図6)や鳥笛の音で確認できます。

 赤ちゃんの円柱鈴の場合、1個の金属鈴を使う欧米の鈴に比べ、日本は2-3個の薄い金属鈴に加えて木球も入れて鳴らします。さらに取手にはダブルリードの笛が取り付けられ、ピーピーの発想を受け継いでいることは確かです。プラスチック製のがらがらにも3つの籠の中にそれぞれ一つずつの鈴が入っていて、シャラシャラと鳴ります(図4)。また、最近入手したプラスチック製ラッパにさえも、ラッパの開口部分に鈴が取り付けられていることに気がつきました。 

 昭和30年代に登場したプラスチック製水笛(図5)。水を入れない時は胴体の中の球ががらがらと音を出します。水を入れると、この球は水の中で色球として目を楽しませ、今度は、吹いた息と水面との間で振動ができて、ヒョロヒョロと多音が混ざりあった音になります。同時ではありませんが、やはり、笛と「がらがら」の組み合わせの発想は共通です。

 このように、音を出す玩具について、徹底的にこだわって考えてみますと、玩具といえども、その発想に楽器と共通の発想をみることができるのです。ただ、楽器と違って、素材や造りの点では簡便なものになっていることも確かです。ところが、音楽教育の発展につれて、音楽を演奏するものが楽器であるとする考えの一般化は、音の出る玩具への取組を変化させていきます。簡便ではなく雑なものへ、素朴だったものが稚拙なものへと変化し、鳴らない鶯笛も増え、作り手の響きへの繊細も失われてきて今日に至るのです。

 

メロディーへの憧れ

昭和30年代に卓上ピアノを知人の家で初めて見ました、当時はピアノが村に1,2台の時代です。卓上ピアノのチンチン聞こえる音色は、数少ない家の子どもだけが持つことのできる高級な音と聞えました、そしてその音は、これまで身近で遊んだペンペン草やでんでん太鼓のように、一つの音の集合の面白さや、複雑な倍音の集まった面白さではなく、異なった音の高さが順番に連続する面白さ、メロディーの世界だったのです。

 その後、リズム・メロディー・ハーモニー……この3種の用語が楽器音の基準となり、音楽を作るためもっとも基本的で不可欠なこととして私たちの音楽学習を支配し、聴覚に浸透してきました。昭和44年の著書の中で権平俊子は、感覚器官を育てるおもちゃとして「ガラガラ、吊メリー、オルゴール(図6)、木琴、太鼓、ドラム、ラッパ、ハーモニカ、カスタネット、卓上ピアノ、オルガン、鉄琴、タンバリン、ミュージカルバンダー」(青いい鳥社「子どもを伸ばすおもちゃの世界」p.46,54)を挙げています。ここに取り上げられた発音玩具の種類が、当時の音色の変化を示していますし、さらに、卓上ピアノに添えられた「音程のしっかりしたもの」という注意書きが、12平均律に基づいたメロディー重視に向かう当時の傾向を顕著に示しています。

 昭和60年代以降、時代は再び変化し、音楽の世界もより変化に富んできました。コンピュータによる音楽の大量生産は、さらに音色の均一化をもたらし、電話の音から時計の音、生活の音をことごとく変えていきました。しかしながら、阪神大震災にその結果を見た戦後50年の日本近代化の矛盾は、私たちの生活様式、思考における問題点を暴きだし、もっとも根本的な、自然との共生、人間らしさの再考の必要性を露呈することになりました。

 人間らしさを再び求める音楽の在り方の模索。たかが玩具、されど玩具。本物になる前の未熟な、不完全な、中途半端な存在として扱われてきた発音玩具を、日本の音文化の基層として位置づけることは、私たちが培ってきた音色の伝統を継承する上で大事なことではないでしょうか。

 今回で連載も最後になりました。この連載のためにイラストレーター遠藤恵美子さんが描いた、音が聞こえてくるような素晴らしい絵はすでに90点を超えました。また、このような機会をお与えくださったばかりでなく、遅筆の私を常に励ましてくださった編集者の河口由紀子さんに心からお礼申し上げたいと思います。長い間読み続けてくださった読者の方々、有り難うございました。(了)

 

 注:東北地方の養蚕の神で、男女一対の桑の木の偶像、馬頭をしていたり、鳥帽子を被ったりしている。