茂手木 潔子 MOTEGI Kiyoko
上越教育大学 Joetsu University of Education


おもちゃが奏でる日本の音-平成玩具考-

へるす出版『小児看護』1994.8月号~毎月1回連載

第15回 からくりを楽しみながら聴く音

水からくり福助

「週刊新潮」9月7日号の表紙に、おもちゃの絵が並んでいるのを見つけました。(写真?)この週刊誌の表紙の画家として知られる谷内六郎氏が1957年8月の第26号に描いた「買い物」と題する表紙絵が38年ぶりに再び表紙に登場したのです。

 表紙に描かれたおもちゃの大方は、音の出るおもちゃです。お風呂の中で遊ぶブリキの金魚、ポンポン船らしい船、線香花火にねずみ花火、それに福助が手にバチを持って太鼓を持って太鼓を叩くおもちゃなど。そこに描かれた題材に、画家の音への関心を見て取ることができます。「表紙の言葉」の中で彼は、「このブリキの福助は近頃あんまり売っていないようです。先日偶然大阪で売っていたので買ってきました。水を入れるとテケ、テケテ、テケテケテケテケテケテケと太鼓を打つのでおもしろいです。その調子やブリキのたどたどしい動きが遠い日の縁日や夜店を思い出させるようです。……」と述べていることからも、子どもの世界に生きていた音も含めて描き続けてきた画家の意思が感じられます。

 福助のおもちゃは「水からくり福助」(図1)と呼ばれて、背中にある細い管を水が流れると福助が太鼓を打つ仕掛けで、明治35年頃から出回ったようです。

 台東区の日本玩具資料館で見た「水からくり」の玩具は、福助ではなく「忠臣蔵」の大石蔵之助の姿をしていました。年代は不明ですが、福助の太鼓がフライパン形をしている一方、蔵之助では締太鼓形に作られていました。もともとは、このような歴史上の人物の顔を使っていたものが、昭和になって福助の顔に変わったのでしょうか?

 ブリキの太鼓の音は、思ったより穏やかで、確かに、谷内氏の表現したように、高めの音でカタカタ、テケテケと聞こえてきます。

 ブリキ板が明治7年に輸入されてのち、ブリキを使った日本のおもちゃは、さまざまな発想によって、その後のおもちゃの発展を築いてきました。ブリキの音色は、さまざまな倍音や非調和成分の音を作り出してなかなか良い響きを造り上げました。しかし、大正初期のセルロイド登場後、昭和25年に始まる国産プラスチック製品の生産が、日本の音色を大きく変えることになっていきます。

 

ダダスコとガガスコ

 岩手生まれの詩人で童話作家、宮沢賢治の作品には、「セロ弾きのゴーシュ」のように、作品自体が音楽を題材にしたもの以外にも、至る所にさまざまな音の響きや表情を描いた作品が数多くあります。その中に、「原体(はらたい)剣舞連(けんばいれん)」という詩がありますが、これは岩手に伝わる代表的な民俗芸能「{(おに)剣舞(けんばい)}の太鼓音を模倣した作品です。1922年8月の日付がついたこの作品では、太鼓の音が「dah-dah-dah-dah-dah-sko-dah-dah」とアルファベットで表記されています。

 賢治の表現した「ダダスコダ……」も、谷内六郎が現した「テケテケ」と同じように、太鼓を打つときの響きをカタカナで表記したものといえましょう。このような表し方を、日本音楽では現在「唱歌(しょうか)」と総称していますが、いわゆる口三味線の一種です。「テケテケ」と「ダダスコ」との違いには、関東地方で紐を強く締めて革を張った締太鼓の甲高い音「テケ」と、北国のあまり強く締めない音色「ダダ」、つまり太鼓の張り方によって異なる音の高さの違いが表されているように思われます。

 青森のねぶた祭には、この「ダダスコ」によく似た呼び方をする金属製の打楽器「ガガスコ」(図2)があります。金属製ですから、革とは異なった音色になるのですが、「ガガスコ」と呼ぶことには、やはり太鼓の印象がダブっているのでしょうか。

 ガガスコは、福助のフライパン型太鼓と同じ形をしていますが、側面に取っ手がついていて、祭りで跳ね踊る「ハネト」の腰に取り付けられる道具です。現地の土産物売り場の一般的な説明では、お水やお茶を飲むための容器とのこと。もちろん昔はお酒を飲んだようですが、祭りが最高潮に達したころによく喧嘩を起こしたので、飲酒は禁止されたとか。

 このガガスコを初めて見たとき、私にはこの器がバチで打つ打楽器に違いないと思われました。そこで、この夏、知人の紹介でお目にかかったねぶたの「に組」の方に、ガガスコの疑問を伺ってみました。“そうさア。昔はこれを叩いてたんだ”。ちょうど60歳になるその女性がいとも簡単に答えて下さったとき、私は何かほっとした気持になりました。昔は、「ガガスコガン、ガガスコガンと打っていたのに、このごろはちっとも打たなくなってしまって……」と、彼女は大きく変化してしまった祭りの音を懐かしむように話してくれました。

 市内の本屋で手に入れた北彰介著『オモチャッコ2』のにも、“青森ねぶたは……ガガスコを「ガガスコガン」と叩いて飛び跳ねた……”と書かれています(1975、北方新社、p198)元青森市役所に勤務するこの著者も宮沢賢治と同様に, 北国の子どもの音世界を全2冊の本の中で克明に述べています。東北の人々の音に対する感性は、冬の静寂の中で、自然界の音を聞きながら自らの生活を営んできたことによって、よりいっそう敏感な耳を育ててきたように思われます。

 いまはすっかり打つことのなくなったガガスコ。その分だけ関東から出かけて行った若者たちの「ラッセー、ラッセー」の掛け声が増えたのでしょうか?帰りがけに青森空港でなにげなく見た「ハネト」人形の手には木のバチがしっかりと握られていました。

猩々(しょうじょう)小僧(こぞう) 

 さまざま発音玩具の中には、「水からくり福助」のように、からくりを一緒にたのしみながら、音を聴くおもちゃがいろいろとあります。

 たとえば、江戸時代の「猩々小僧」という風変わりなおもちゃがあります(図3)。猩々は、中国で考えられた架空の霊獣で、芸能の中では酒を好み、舞を舞って至福を与える存在として登場しますが、この猩々の姿を人形にした江戸時代の玩具が「猩々小僧」です。酒壺の中から登場した猩々が、手に柄杓を持つ姿形で、壺の下には2本の竹管が突き出し、1管は空気を入れる管、もう一つがリコーダー式に吹いてピーという音を出す管になっています。猩々小僧では、管を吹くと笛の音と共に柄杓を持った猩々が回転する仕組みです。

 笛は、歌舞伎の擬音で使う「呼び子笛」と同じもので、リコーダーの構造を持つ笛。空気を入れて回転する様子を音とともに楽しむこの発想は、さらにでんでん太鼓の仕組みと組み合わされて「犬山のでんでん太鼓」のようなおもちゃの登場となります。このおもちゃについての記述は、昭和9年から11年にかけてまとめられた『玩具叢書』にみられます。

この玩具の場合は、子どもの形をした単純な切り紙細工の人形の両肩部分から紐を下げ、手の部分には、オガラのような素材のバチが結び付けられています(図4)。呼び小型の笛を吹くと、この人形が回転して腕を振り回し、バチが背面の太鼓を打って音を出すわけです。

 新潟県岩船郡朝日村にある日本玩具資料館には、同じ発想で別の姿をしたでんでん太鼓も展示されていました(図5)。洋服の赤・青・黄・の明快な色使い、人形の姿かたちの違い、そして吹き口に笛がないなど、これまでの日本製とは異なった特徴でした。

   

笛つきガラガラ

 犬山のでんでん太鼓のように、笛と太鼓が一緒になったおもちゃの存在は、日本に古くからある発想なのでしょうか。でんでん太鼓に、太鼓を外から打つタイプばかりでなく、円柱の中にすでに豆や小石を入れるガラガラにも、やはり笛がついています。このことについては、今後もっと詳しく調べてみたいと思っているところです。オランダのライデン国立民族学博物館所蔵玩具コレクションの中に、笛のついた木製ガラガラが4点ありました。その内の2点が図6ですが、全長14-15cmの小さな太鼓や小槌は、内部に豆のようなものを入れたガラガラになっていて、いずれも柄の部分に呼び子笛がついています。これらは、1818年から1829年に、当時長崎の出島にあったオランダ商館の倉庫主任になった2人のオランダ人によって収集され本国に持ち帰られたものでした。J.コック・ブルムホフ(Jan Cock Bloomhoff /1909-1913, 1817-1823滞日と、J.F.オーベルメア・フィッシャー(Johan Fredelik Overmeer Fisscher/ 1819-1829滞日)の2人です。

 ガラガラと笛を組み合わせるこの発想は、その後の鈴入り円柱に続きます。日本の物だけが取手を持ち、笛がついているのです。