茂手木 潔子 MOTEGI Kiyoko
上越教育大学 Joetsu University of Education


おもちゃが奏でる日本の音-平成玩具考-

へるす出版『小児看護』1994.8月号~毎月1回連載

第14回 秋は雨音とともに

雨の季節

日本は豊かな四季に恵まれたところ……。こんな言葉をよく耳にします。でもいつだったか新聞で、「日本には夏と冬しかない」と書かれたコラムを読んだことがありました。春と秋への日本人の思いが強いから、四季があると思い込んでいるけれど、春と秋は夏と冬への通り道にほんのちょっとあるだけに過ぎないといった内容で,とても説得力のある文章だったことを覚えています。

 日本は南北に長い国なので、土地によって季節の長さはずいぶん変わることになります。沖縄で過ごした冬は、ハイビスカスの赤い花を眺めながら一年中が夏の続きのように感じられました、「ねぶた祭り」の囃子を聞きたくて訪れた青森は8月というのに気温22度前後。オランダにでもいるようで、「8月7日に祭りが終われば、次の日から冬が来るよ」と、地元の人が冗談めかしておっしゃっていましたっけ。

 でも、たとえ短い秋であっても、秋はその季節の鮮やかな色を眼前に広げ、私たちの気持の中にその存在をつくってきたことも確かです。恵みの秋、豊饒の秋……。そしてこの秋の恵みをもたらすのは雨。雨まじりの毎日は、暑い夏から冬へと季節が移る実感を、私たちの肌に直接感じさせます。米どころ新潟の10月から11月にかけての季節は、北陸に共通の、晴れの日がまれな雨・雨・雨の毎日。一雨降るごとに寒さは確実に増してゆきます。

雨団扇

 雨の音は、平安時代からの日本文学のキーワードでもあり、雨の音を聞き取り、その音色までも聞き分ける耳は、日本人の自然音への強いこだわりをも表しています。

 世界のCFを比較した時によく言われるのが、日本のCFにしばしば見られる雨の風景の描写方法の特異性です。水溜りにしとしとと落ちる雨の滴を影り続けるカメラ。竹薮に紗幕(しゃまく)をかけたような霧雨を、竹の細い葉の揺れとともにフォーカスするカメラワーク。雨の風景は、日本の情緒を代表してきました。

 私の記憶では、昭和40年ごろまで、雨の日の子どもは家の中でおはじきをし、お手玉や綾取りをすることで、外へ出るのを我慢していました。ですから子ども達のおもちゃの世界には、さすがに雨のおもちゃはみられませんが、歌舞伎の音の世界で、この雨音が楽器や玩具で表現されているのをご存知でしょうか? 歌舞伎では多くの場合、雨音を大太鼓で表現しますが、場合によっては団扇を使って音を出します。大太鼓の場合は、革面を長く細い桴で「ボロボロン、ボロボロン」と雨が何かに当たっている音としてリズムを刻みます。

 もう一つの方法は明治35年頃から考案されましたが、大豆をたくさん結び付けた団扇の取っ手を半回転させてぱらぱらと屋根にぶつかる雨を模写する方法です。この団扇が「雨団扇」(図1)で、ありとあらゆる発音の道具を取り入れた歌舞伎の面白さの好例であり、発音玩具の世界と重なります。団扇は、焼き鳥屋などで火をばたばたと音をたてて扇ぐ団扇と同じで、和紙に柿渋を塗った「渋団扇」です。柿渋は渋柿の実から取った液で、和紙の腐食を防ぐために紙に塗るのです。そして雨団扇は、この渋団扇の片面に何列も小豆を糸で吊り下げて作られています。豆を吊るす時に大事なことは、上下の豆の位置をずらす点だそうですが、その理由は、同じ位置に豆があると、振った時に糸どうしが絡まってしまうからだそうです。

 この団扇の音は、板屋根に雨がぱらぱらと当たる情景の表現に向いています。でも、だいぶ以前から大豆がビーズに取って代わられましたので、音色にも変化が出てきています。

 

雨の木

 大学の同僚が、面白い音具を貸してくれました。レインスティック(図2)という「雨の木」でした。メキシコ旅行の記念に買ってきたのだそうです。80cmほどあるサボテンの長い茎の中に、何かの種か、砂のようなものがはいっているのでしょうか、サラサラと音がします。この茎の上下を逆さにすると、中の砂が移動して音がします。ところが、茎のあちらこちらに、数多くのサボテンの針らしいものを内側に向けて突き刺してありますから、砂はこの針にぶつかって落ちることになります。初めはサーッという音がしますが、砂がすっかり落ちきる頃に、針にぶつかった砂つぶがパラパラと不規則なリズムを作り出し、雨の降り止む時の情景が浮かび上がります。

 授業で学生たちにこの音を聞かせ、何の音かを尋ねて見ました。すると一人は「波の音」と答えました。波がサーッと打ち寄せる時の音に似ているというのです。そして、面白いことに、雨の音だと感じた学生は一人もいませんでした。この音から聞こえるメキシコの雨音は、まるでスコールのようにザーッと振ってくる雨を想像させます。

 同じ雨の音でも、土地が変わると、どこでその音を聞くか、何にぶつかる音として聞くかによって、ずいぶん異なった音の印象で感じられるようです。ですから、スコールのように一時的に激しく降る雨音を聞いている人々と、しとしと降り続ける長雨の音が身近な私たちとでは、雨に対する感じ方が大きく違うはずです。

 そういえば、もう10年近く前のことですが面白い話があります。雨不足の時に龍神様に祈る行事が各地にありますように、龍は雨をもたらす架空の動物として有名ですが、雅楽の笛にも「龍笛」と名の付いた横笛があります。国際学会の発表の翻訳をネイティヴ・アメリカンの友人に手伝ってもらっていた時のこと。この笛の説明で、「龍の鳴き声を出すのでこう呼ばれたという通訳があるが、龍のように長い体をもつ点も名称の理由と思われる」という文章のところで、彼女に「ねえ。なぜ龍の体が長いの?」と聞かれました。変な質問をするなあと思い、龍の姿を絵で説明しますと、彼女は驚いて「えーッ。そんな龍見たことない」。彼女が描いた絵には、お腹がでっぷり太って短い足を持ち、ワニのように長い顔のアメリカのドラゴンが描かれていました。

 ところで「雨の木」は、私がすっかり気に入ってしまって、いつまでも同僚に返さなかったので、ついに彼女は「あなたにあげるから持っていていいわよ」と言わざるを得ませんでした。

 

米食いねずみと虫の声

 雨の島「日本」、でもこの国の米文化は豊かな雨に恵まれたからからこそ育まれてきたのでしょう。稲作中心の日常から生まれるおもちゃは、やはり米作りと関係のある発想です。天保始めの1830年に加賀百万石で発案された「米食いねずみ」(図3)。かつて郵便局のお年玉切手にも登場したこの鼠は、竹ひごの部分を押さえると、鼠が床上の米を食べる仕種をする仕掛けになっています。頭を下げると、尻尾も一緒に下がり、口先が床上の竹製の器に触れる時に、カツカツという小さく可愛い音が出ます。

 収穫の後は、お餅を憑いての収穫祝い。この頃、新しいデザインの「餅憑きうさぎ」も登場しました(図4)

 雨でしっとりと塗れた姿の似合う萩の花。夕暮れ時、葉からしたたり落ちるその滴が止まったことにふと気付いた時、草むらから虫の声が聞こえてきます。

 以前訪れた、金沢にある豪商の大邸宅の一室には、床の間近くに風流な台が置かれ、そこに鳥籠ならぬ豪華な虫かごが置かれていました。ここに鈴虫などを入れて、秋の夜長に「虫聞き」の遊びをしたのでしょう。

 歌舞伎の擬音笛の一つ、「虫笛」(図5)は、夜店のおもちゃ「メロディー」(第9回図3参照)のようにリコーダー式の縦笛を横に並べた形ですが、メロディーと異なる点は、3本の管を一緒に吹いて鳴らすことです。3管はすこしずつ音の高さがずれていて、音はけっして大きくはないのですが、吹くと確かに虫の鳴き声にきこえます。

この虫笛に似た形で、シングルリードの金属笛があります。現在はほとんど見かけることのないこの笛は「ビー笛」(図6)と呼ばれ、別々に離れた3本の縦笛を一緒に口にくわえて吹く笛です。歌舞伎の囃子方の重鎮、望月太佐之助さんから幸運にも頂くことができた笛です。この笛は、雅楽の管楽器「笙」の代用品としてやはり歌舞伎で使われますが、3管の音の高さはセットによって違います。この図の笛は、ソ・ソのすこし高め・ラというように長2度の音を3種類とって作られています。吹いた時の音色には、日本人の好きな様々な音の高さの混じった響きが聞えます。

長雨が止んだあとは、肌に凍みる空気の冷たさが、すでに冬の入り口にさしかかったことを知らせます。そして、音の世界も静寂に向かって次第に鳴りを潜めていくようです。