茂手木 潔子 MOTEGI Kiyoko
上越教育大学 Joetsu University of Education


おもちゃが奏でる日本の音-平成玩具考-

へるす出版『小児看護』1994.8月号~毎月1回連載

第11回 小さな音への耳は何処へ

ぺんぺん草のガラガラ

  暑い夏ももうすぐそこまで来ています。この連載を始めてから、久し振りにペンペン草の音が聞きたくなって、我が家の庭を探してみました。すぐに見つかるだろうと思ったこの草、意外にもまったく生えていません。私の家は東京の住宅地の一隔に、昭和26年からずっとありますから、昔の土がそのまま残っているはずですが、ペンペン草がまったく見当たらないのです。「ペンペン草が生える」ことは人の住まない荒地の代名詞みたいなものですが、やはり本当なのでしょうか? 念のために近くに住む姉をたずねて庭を探しましたが、やっぱりそこにもありませんでした。こうなると、意地でも探したくなるのが私の性格です。やっと武蔵野の面影を残す埼玉県近くの草地で見つけた草は、牧野植物図鑑に描かれた形とは違い、茎が長細く伸びたぺんぺん草でした(図1a)

 実の形が三味線の撥に似ているのでこの名がついたのですが、三味線の撥よりもむしろ琵琶の撥のようです。実を一つずつ太い茎から引き裂いて垂らし(図1b )、実が互いに揺れてぶつかり合うようにします。そして耳のそばで草の茎を回転させると、垂れ下がった実がぶつかってシャリシャリと鳴ります。久し振りの懐かしい音色でした。思ったよりも小さな音に、子供の頃はこんな細い音を聞いていたんだなと改めて気がつきました。

 

小さな音の世界

 1976年に東京で開かれた「アジア伝統音楽の交流」のセミナーでお会いしたフィリピンやマレーシアの演奏家たちが演奏する音楽は、とても小さな音の繊細な響きの音楽でした。そして、音楽と同じように彼等の話す声もとても小さく、耳を近づけて聞かなくてはならなかったことを覚えています。

その小さな音の中に、フィリピンのルソン島からやってきたカリンガ族の若者が吹いた鼻笛がありました(写真)。左の孔を開けた笛の片端がくるように横笛を構えて吹くと、その小さな孔から入った鼻息で笛が鳴ります。表3孔裏1孔の指孔で出る音の数はけっして多くありません。そして出てきた音色は、小声でそっと語りかけているかのようです。なぜ鼻で吹くかというと、鼻息のほうが口から出る息よりも神聖だからとか。また、神様に聞こえればよいので、大きな音量は必要ないとも聞きました。

 人に聞かせるために音を出すのではない音楽のもう一つの在り方が、ここにみられました。

 作曲家の一柳慧氏は1976年にベルリンに滞在した時のシュタイナー学校の音楽の先生の話として、次のことを述べています。

 “その先生は、「この学校ではこんな楽器をつくって子供たちに弾かせているのですよ」といって見なれない楽器をもってきた。それは小さなハープを横に寝かせたようなかたちをしており、薄べったい共鳴板の上に、弦が10本張ってあるいかにも華奢な感じのする楽器であった。先生はその楽器をひざの上に置いて、一曲のドイツ民謡を弾いてくれた。このはじめての楽器で聴く演奏は、心に残る素晴らしいものであった。だが、その繊細で美しい音色は、じっと耳を澄ましていなければ聴きもらしてしまいそうな小さな音であった。演奏し終わった後、先生は次のように語った。「この楽器の音の小さいことにお気づきになったでしょう、聴いていて聴きとりにくいな、という感じをおもちになったかもしれません。しかしこれは私たちが意図的にしたことであり、楽器の構造上の欠陥ではないのです。現代のような騒音の激しい時代に生まれた子どもたちにとって大事なことは、小さな音を聴くことではないでしょうか。私たちは子どもたちにこの楽器を学ばせることによって、音に対する集中心を養わせるのです。音に敏感になった子どもは自然に繊細な感受性を身につけます。そしてそれは音を大切にする気持ちにつながってゆくのです。」”(一柳慧『音を聴く』岩波書店 19** pp.**-**)。

 ペンペン草のか細い音を聴きながら、日本にもかつてあった静かな音の世界がふたたび思い出されました。

 

竹鉄砲

 でも、戸外で音を出す遊びの中には、ペンペン草のような静かな音と正反対に勇ましい鉄砲の音もあります。

 1830年に成立した文献『嬉遊(きゆう)笑覧(しょうらん)』には、江戸時代までの日本人の風俗習慣や遊びに関する用語が集められて解説されていますが、ここに出てくる鉄砲は「紙でつほう」「豆でつほう」の2種類です。江戸時代に遡るこれらの鉄砲の類として、紙や豆を細い竹筒の一端に詰め、筒のもう一方の端を棒で押すと、管内の空気が圧縮されて紙や豆が飛び出して音を立てるものがあります。現在みられるこの鉄砲の類には「コルク」を使ったものもあります(図2)。また、取っ手を回転させると、内部の歯車が回転して歯車の上にある竹筒の切り込みのある一片を押して上げ下げして、パチパチと音を出すもの(図3)など。

 この発音原理と同じですが、取っ手をくるくる回すのではなく、突き出た棒を持って、本体の方を回転させて音を出すタイプもあります(図4)。この場合は、図3の鉄砲よりもずっと簡単な作りになっていて、竹筒本体が回転する時に、棒先に歯車の役割で付けられたより細い棒が、竹筒の切り込み部分を押し上げたり下げたりして音を出します。

 それにしても、これらの音が大きいといっても、野外のブラスバンドの音や今の町の喧騒と比べればたいしたことはありません。時代とともに音の大小の基準が大きく変化してしまったのでしょうか。

 

「時計」の同類「ササラ」

 歯車が竹片とぶつかりあって音が出る発想は、螺旋状あるいはギザギザに削った棒を、別の棒などで擦って音を出す方法と共通のものです。この方法で音を出す音具は世界中にありますが、日本代表は「ササラ」です。ササラは汚れた鍋を洗うための台所の道具の名前でもありますが、極めて細く割った竹を束ねたものことを呼んでいます。酒造りの道具としてもこのササラは使われ、酒造り工程では、大きな桶を洗う時に桶の内側をササラで擦りながら「桶洗い唄」が歌われます。ササラが民謡で使われる例には、富山県五箇山地方で歌われる「こきりこ節」があり、ここでは、螺旋状に切込みを入れた木をササラで擦ってリズムを取り、シャッシャッという音を出します。こきりこ節は、日本古来の芸能「田楽(でんがく)」をいまだに残している貴重な芸能として知られています。

 何年か前の春、たまたま秩父神社の境内で春のお田植神事が終わったところに出くわしました。道具を片付けているところを見ていますと、何やら不思議なものが見えます。1メートル近くもある切り込みの入った竹の棒です。ちょっと見たときには何段にも花を差し込む花瓶のように見えましたが、氏子らしい人にその不思議な形の竹について尋ねますと、「あれも一緒に使うんだよ」と、もう一つの道具を指差しました。その方向に見えたのは何とササラでした。この切り込みの入った竹棒は、擦りザサラの片方の棒だったのです(図6)。このササラのあまり響かない雑音性の高い音色に、日本の音の原点を聴いた気がしました。