茂手木 潔子 MOTEGI Kiyoko
上越教育大学 Joetsu University of Education


おもちゃが奏でる日本の音-平成玩具考-

へるす出版『小児看護』1994.8月号~毎月1回連載

第10回  風のリズム・草の奏でる音色

バリ島から来た鳴子

 大学院生の育子さんが、バリ島から帰ってきました。育子さんは現職の小学校の先生ですが、教育委員会から2年間の研修許可をもらって、今私の研究室で論文を書いています。ちょうどバリ島で日本人にだけ流行っているコレラ騒ぎも何のその、相変わらずの明るく快活な姿で短期間の音楽研修から意気揚々と帰ってきたのです。でも彼女なりに気を遣ったらしく、コレラかどうか分かる潜伏期間の過ぎた頃「先生ただいま!」とニコニコ顔で研究室に入ってきました。そして「これ見つけました!」と私に向かって差し出した大きな袋。その袋の中には私がずっと前からあこがれ続けていたバリ島の鳴子が入っていました(図1)

 1976年の3月、東京芸大の小泉文夫氏の発案で、国際交流基金と国立劇場の共催で「第1回アジア伝統芸能の交流」(ATPA)と題する伝統音楽の研究交流セミナーが開かれました。フィリピンのルソン島、タイのバンコク、マレーシアのサラワク、インドネシアのジャワから演奏家と研究家が招かれ、日本側は沖縄・北海道・青森・長野・東京の民俗芸能や箏曲・尺八の演奏家たちが参加して、アジアの音楽芸能の比較研究が行われたのです。このセミナーでは映画も制作され、その中に「竹の響き」と題する作品がありました。

 アジアの様々な楽器の共通点を調べると、「竹」というキーワードが浮かび上がります。これまでにこの連載で取り上げた発音玩具にも竹で作られた物が多くありましたが、アジアの楽器では、本体だけでなく楽器の一部や付属品にまで、思わぬところで竹は重要な役割を果たしています。この映画は、竹に焦点を当てたアジアの音楽文化の再認識でした。そして映画の最後の部分には、戸外で風に吹かれて響く鳴子が映し出されていました。初めて聞く鳴子の穏やかな音色と、風が作り出した偶然のリズムに心打たれて、インドネシアに出かける機会があったらこの鳴子をぜひ見つけたいものだと思い続けて、すでに20年近い月日が流れました。育子さんは、その私の思いを知っていて、このかさばる音具をバリ島から買い求めて来てくれたのでした。

 

音のある風景

 ピンジャカンと呼ばれるこの鳴子は、プロペラがついていて、風でプロペラが回ると竹片が回転し、横に渡された半円型の竹の棒を打ちます。いくつかの竹片の回転が不揃いなので、竹筒を打つ間合いも様々、アンバランスなリズムのおもしろさが作りだされるのです。インドネシア音楽研究がご専門の岡崎淑子さんに伺ったところ、バリ島の家々の屋根にこの鳴子は取り付けられ、しかも、家ごとにオリジナルな音程とリズムをもっているので、通りを歩くと様々な音楽が耳に届いて来るのだそうです。私にはユートピアの世界にも思えました。

 オーストリアで開かれた民族音楽の学会に参加するため、友人の車でドイツの古い町を通って旅行したことがありましたが、南ドイツのヴァイデンや、オーストリアのシュラードミンクという町には、その町の教会や、時には家の門ごとに、いくつもの釣鐘型の鐘を組み合わせた「カリヨン」という楽器があり、時刻が来るとその町の響きと旋律を辺り一体に響かせていました。リストの≪ラ・カンパネラ≫は、ヨーロッパの人々の生活に密接なカリヨンを模倣した作品です。バリ島の鳴子「ピンジャカン」といい、人類に共通な発想を見ることができます。でも大きく異なるのは、カリヨンは人の技で作られた金属楽器を人の手で鳴らし、ピンジャカンは自然の一部からできた道具を風が気ままに鳴らすこと。

 

日常が作る音

 風が気ままに鳴らすのは日本の鳴子も同じです。日本の鳴子は、長さの異なる細い竹筒を吊り下げたタイプのものですが、かつては京都の竹の里、嵯峨野辺りの土産物店で良く見かけました(図2)。この頃は全国的に見ることもでき、鳴子の玩具も良い音とはいえませんが登場しています(図3)。竹が吊り下げられた形の鳴子はバリ島にもありますが、バリ島のピンジャカンも鳴子も中音域から低音域のまろやかな響きをしていて、日本の鳴子の高音域の音色とまったく違います。いわばヴィオラとヴァイオリンといった赴きの違いでしょうか。

 近年、現代音楽の打楽器として欠かせない鳴子の音色ですが、もともと日本の鳴子は田畑に紐を張って吊り下げ、風が吹いたり、雀が稲や農作物をつつこうとしてこの紐に触ると、揺れて鳴る雀脅しの役割を果たしていました(北斎漫画の図)。この音を聞いて、雀はびっくりして飛び上がるという訳ですが、バリ島のピンジャカンにも、プロペラの回転にあわせて牛を曳いて田を耕す人形が動くしかけがついています。この人形の様子からバリ島の人々と水田耕作との密接な関係がよくわかり、生活の根本的な姿形を装飾に用いたこの「音具」の持つ意味の深さを思わずにはいられません。牛を曳く人型の人形や、雀を追い払う仕掛けに、アジアの農耕民族の共通の発想を見ることができるのではないでしょうか?

 

草木でできた鳴らしもの

 昭和49年の沖縄民謡調査の折に、竹富島で沖縄の子ども達が遊ぶ「クバ三味線」(図4)と「ふぃんぐる三線」(図5)を見つけました。クバの茎に楊枝で糸巻を作り、糸を三本取り付けた「クバ三味線」、コーリャンという草の茎を筏のように横に並べて、一本一本の茎から弦を切りだして作った「ふぃんぐる三線」。どちらも蘇鉄の針で弦をかき鳴らして遊ぶ玩具です。日本の発音玩具の中には弦楽器がとても少ないのですが、このような弦楽器があるのはさすが三味線の島、沖縄ならではです。

 クバもコーリャンも沖縄の植物、日本の各地で、その土地では当たり前の草木を使った笛やがらがらが作られ、音が出されてきました。アフリカ・アジア・中南米のおもちゃにも、その土地の草木を編んだり削ったりして作られた発音玩具はたくさんあります。

(写真?)

 兵庫県香寺にある日本玩具博物館の尾崎さんが、「おもしろい玩具がありますよ」と教えてくださったのが、木の実らしい球を2個紐でつないだ玩具でした(図6-右下)。何がおもしろいのかとお聞きすると、「このおもちゃの名前、テレビって言うんです」とのこと。意外な名前に思わず言葉を失いました。アフリカから届いたこのガラガラですが、名前の由来はどこにあるのでしょう。これらの手作りの暖かさは、かつて日本の私たちもしっかりともってきたものでした。5月を過ぎて6月に入ると、木々の緑色もしっかりと落ち着きを見せてきます。イタドリの茎を使った笛(写真)や、シービービーで鳴らす2枚舌の音、道々を歩きながら作るぺんぺん草のがらがら。道々、畑から聞えて来る鳴子の音色……どの音色も子ども達の生活の中で季節を知らせ、大気のリズムを知らせ、自然を感じさせる音色として、しっかりと意味をもっていたものです。そして、これらの音色が日本の音の体験として積み重ねられ、日本音楽の世界への橋渡しとなっていたに違いありません。

 

玩具・音具そして楽器

 ところで、今回は私は「音具」ということばを使ってみました。ドイツの有名な楽器学の権威クルト・ザックスCurt Sachs(1881-1951)の分類では、たとえ玩具でもすべての発音具が楽器の名の下に分類されています。ところが日本では、楽器という用語が、西洋音楽に使われるような旋律を奏でることのできるものという感じが強く、歌舞伎の擬音を出すような類や、発音玩具については楽器という呼び方をしない場合が多いのです。しかし、1970年代に入って作曲家の一柳慧さんが“触れる音の出る道具を何種類も作り”“「音具」と名付けた”とのこと(注1)。この「音具」という言葉はその後現代音楽の様々な新しい音色の拡大とともに今や音楽界では一般的な用語として、擬音の道具など様々な日本の楽器を含めた総称として使われています。この音具という呼び方には、これからの発音玩具をも含めた日本の様々な発音体の呼称としての可能性があるように思います。様々な玩具も擬音の道具も、そして日常使われてきた発音の道具も、すべて音具の名称のもとにまとめられれば、日本人が特別に考えている「いわゆる西洋音楽の楽器」とは異なった「楽器」の存在を認めることができるように思うのです。

 今なお豊かな自然に恵まれた地域のほとんどの子ども達は、草木で作った笛やがらがらで遊ぶことができます。でもそんな自然に恵まれた地域の子ども達でさえ、音楽の授業ではその響きが生かされず、ドレミを歌っているうちにいつの間にか自然や生活の響きを忘れていってしまうのが残念でなりません。草木が作り出す自然の音色・生活の道具から生まれた響きは日本の響きを特徴づけてきたと考えられる。

 

 注1:深夜叢書社「松江()弥子(みこ)追悼文集」1995?における松江須美子(一柳慧夫人)による記述p.116