茂手木 潔子 MOTEGI Kiyoko
上越教育大学 Joetsu University of Education


おもちゃが奏でる日本の音-平成玩具考-

へるす出版『小児看護』1994.8月号~毎月1回連載
第1回 東西音比べ

●音の出るおもちゃ

一口におもちゃといっても、この小さな存在の中にはいろいろな情報が隠されています。おもちゃを作っている素材 や色合い、そしておもちゃから出てきた音が、その民族の生活感覚や色彩感覚と深く結びついていることです。音の 出るおもちゃの情報として、幼児教育の充実とともに日本のおもちゃに取り入れられたものもあります。たとえば、 吹いたり打ったりして出す音は、発育段階によって子どもたちが音を出しやすいように考えられ、子どもの意識の発 達を促す目的によって、どんな音が出るかについても音量や音質が選ばれています。
 このような情報に対して、音の出るおもちゃについて案外見過ごされやすくしかも大事なことがあります。この情 報は、古くから日本のおもちゃに備わってきたものです。昭和初期までに日本で作られてきたおもちゃには、民族的 な音感覚――言いかえれば、日本人の感性が反映された音色が多くありました。その音色の特徴は、一つの音の中に いろいろな高さの音が混ざりあっていることであり、また同じ鈴の音色でも一つ一つが微妙に音色が違っていること でした。昭和40年代以降新しく考案されたおもちゃには、かつてのようなさまざまな音色への志向があまりありませ ん。素材感覚や色彩感覚の民族性には関心がもたれ継承されているのに比べて、この音感覚については、ほとんど忘 れられてきたように思うのです。
 本号からはじまるこの連載で、私は日本人の音感覚の特徴について、いろいろなおもちゃの話をしながら考えてみ たいと思います。そして、昔の音色と新しい音色との違いについても述べてみたいと思います。音の出るおもちゃと は、「鳩笛」など鳥の形をした笛や、屋台で売っている「風船」「浮き金魚」や「ガラガラ」、「鈴」や「でんでん 太鼓」、ぐるぐる回してうなる音を出す「セミ」や「蛙」のおもちゃ、そして「羽子板」のような、遊びながら音の 出る道具のことです。(図・1・2・3)。


 ある時、音を出すおもちゃについて書かれた本や、幼児教育でおもちゃの音を取り上げた本を本屋さんで探してみました。でも残念ながら、おもちゃの本のほとんどは人形など部屋に飾るような視覚的に面白いおもちゃを並べた本で、音を出すものについては郷土玩具シリーズの部分部分に少し書かれている程度でした。また幼児の音感教育についての本では、リズムや旋律など西洋音楽のことについて書かれていて、日本の音の記述は見当たりません。手作りおもちゃの本の中に、かろうじて草笛の類について書かれているだけでした。
 江戸時代に書かれた『嬉遊笑覧(きゆうしょうらん)』という本や、明治から大正にかけて35年間を費やしてまとめられた『古事類苑(こじるいえん)』という書籍の中には音を出す玩具についてもしっかりと書かれているのに、いつからおもちゃは視覚だけの遊びになってしまったのでしょう。
 玩具の歴史の中で、日本製のハーモニカや卓上ピアノが作られるようになったのは明治の終りごろから大正にかけてです。また、音を出すおもちゃの発案や生産が急に少なくなるのは、昭和35年ごろからと考えられます。当時は、高度経済成長期で、TVブームによってマスコミ玩具やTVゲームが登場した時期です。このころから、おもちゃの音は自分で振ったり打ったりして出すのではなく、機械の中にセットされた発音体が自動的に音を出す時代へと変化しました。これらの音の色は、さまざまな高さの音が混ざっていない澄んだ音色が多くなりました。さらにドレミの出る楽器に向かっておもちゃの音が統一されてきたように思えます。
 ところが、1978年ごろからは、日本の社会においても、これまでの西欧的なものの価値の考え方中心を考え直して 、もっとアジアやアフリカに目を向けようというエスニックブームが起きてきました。そんななかで、日本の昔から の音色についての関心も高まってきつつあります。

●西の音、東の音
 兵庫県の香寺にある玩具博物館で、スウェーデン製プラスチック枠の赤ちゃん用円柱鈴の音を聞きました。円柱型の 枠の中に大きめの鈴が一つ入ったおもちゃですが、振ってみると、とても爽やかな音が出ます。一方、これまで日本で 使われてきたタイプの円柱鈴は、木の枠組ででき、取っ手に笛がついていて、円柱の中にはいくつかの小さい鈴と一緒 に木の球も入って、もっとシャラシャラとした音を出します。同じ鈴の音でもこんなに違うのだなあと、スウェーデン 製を振って驚きました。その後、ベルリンとオランダを訪れた機会に、おもちゃ屋さんに出かけ、円柱鈴を探しました。 当時の西ドイツ製の鈴と、オランダ製、そしてスウェーデン製を見つけて買ってきました。やはりとても澄んだ音がしま す。面白いことに、中国製のものもありました。どの円柱鈴もみなプラスチックでできていましたが、中国製のものには 日本の鈴のように鈴以外のプラスチック球が入っていて、日本の鈴よりもっと雑音が混じるように作られていました。こ のことは、日本の音色がアジアの音色の一部であることを示しています。(図4・5)

 明治9年から2年間、東京大学で生物学を講義したアメリカの動物学者モース(E.S.Morse 1838~1925)は、大田区の大森貝塚を初めて調査した学者ですが、彼が日本に滞在していたときの日記や描いたスケッチ、撮影した写真などがまとめられて、『モースの見た日本』の題で出版されました。ここには、明治時代の日本人の生活が細かく記録されていますが、この本の中に、モースが聞いた日本のさまざまな音についての話が載っています。(注)。
 たとえば、1878年(明治11年)の暮れにモースが羽根突き遊びを見たとき、「道具はわれわれのとは違ってラケットは板でできているが、片面には有名な英雄か役者の似顔絵が色鮮やかな縮緬の押絵になってついている。ラケットの装飾は、たいへん洗練されている。羽根はソープベリー(木蓮子:むくろじ)の種子の一端に5枚の羽からなる羽冠をつけたもので、5個一組が竹の細いひもにくくられて売られている。これらを売る店の中は目もくらむばかりに美しく展示され、たいてい外には看板として大きな羽根がぶらさがっている」「われわれの羽子板はサム、サム、サム、という音をたてるのに、日本のは固い種子を木の板で打つので、私にはどうしてもクリック、クリック、クリックと聞こえてしまう」と日記に書いています。
 一人のアメリカ人が聞いた日本の音は、自分たちの遊びに似ているのに、母国の柔らかな響きとまったく違い「高音で堅くはっきりした音」に聞こえたのです。  また、1882年(明治15年)7月に東京で見た鳥の曲芸の中で聞いた音についても、次のように書いています。「4羽の鳥が籠から出てきて、3羽が小さな台にとりつけた太鼓や三味線をつつき、他の一羽がテーブルの上の鈴やジャラジャラ鳴るものを振りまわす芸である。もちろん、音楽も拍子もあったものではないが、いきいきとしたノイズがつづけられ……」。彼は「ノイズ」にも“いきいきとした”と形容するほど、自分の世界とは異次元の響きを聞いたようですが、この「雑音の入り交じった響き」こそ、実は日本人が好んだ音の代表でした。この響きの違いについて、モースはその他の日本の音についても記録しました。記録された音は、鳥や虫の声、滝の音などの自然の音、また下駄の音や床がきしむ音、風鈴、お寺の鐘などです。また、お坊さんの読経の声については昆虫の羽音のような響きとまで形容しています。
 モースが聞いた「堅く高い音」「昆虫の羽音(虫の声)と容易に区別しがたい音」という響きの印象こそ、日本人が昔からの生活のなかで育ててきた音色でした。この「堅く高い音」の響きは、「火の用心」の拍子木の音であり、きこりたちが山で木を切る音。また「雑音を持った音」や「昆虫の羽音」のような響きは、子ども達が草で作った笛を吹く音や神社の賽銭箱の上にある鈴を紐で鳴らした音、また除夜の鐘の音に聞かれ、そして川のせせらぎや雨の音に情緒を感ずる耳もこの響きの世界のものでした。子ども達は、これらの音のなかで生活し、生まれながらにしてこの響きの世界を体験していたのです。この生活の中での体験は、日本音楽の箏や三味線の絃を引く時の雑音が混じった響きを生み出し、横笛や尺八の息の音が入り混ざった音を作り出してきたのです。

(注) モース・コレクション写真編.百年前の日本.小学館.1983.
    モース・コレクション日本民具編.モースの見た日本.小学館.1988.

(本連載の図版資料は、イラストレーター遠藤恵美子さんのご協力を得ています。)