伝統の継承への取り組み
 読売新聞 にいがた論考 1998.12.19
 

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越後の酒造り唄

 私が「酒造り唄」と出会ったのは五年前の秋。TVに登場する民謡歌手たちの標準語的な歌唱法に拒否反応を持ち続けてきた私にとって、さまざまな声と色と節回しで、腹の底から歌い上げる「唄」との出会いは大きな感動だった。
 声を出すことで、生きていることを確認しているかのように思えたこの唄が、蔵の中でどのように響いたのか、唄の息遣いやリズム、声の伸ばし方はどうだったのかの実際をできれば再現してみたい。それに、蔵人たちがなぜ歌わなくてはならなかったのかも知りたかった。ただ、この唄が仕事の中で生きていたことを実証する蔵人の多くが六十代後半、いや七十代を過ぎているという現実があり、とにかく急がねばならなかった。
 蔵人たちは自分たちが上手な歌い手とは決して思っていない。個人によって節も違うし、声の色もさまざまで自己流の唄だからだ。でも、自分の唄を持っているとは何と音楽的な人々だろうと、再び私は感動してしまった。それに、家族でさえも唄を聞いたことがないことにも驚いた。
 蔵で桶を使って水を運ぶ回数や撹拌 (かくはん)時間を計り、作業の動きをそろえるために歌われるこの唄は、仕事とともに歌うからこそ意義があった。
 蔵でも寂しかった想いや辛い感情がわいてくるので、家族の前では歌いたくなかったとも蔵人たちは話す。
  仕事唄としての酒造り唄の記録研究に取り組んで以来、アジア文化祭、新津市美術館やアサヒビール本社ホールでの公演、ビデオやCDの制作を行ってきた。そして、蔵人たちが体で覚えた唄は力強く、公演ごとに説得力を増し、歌わなかった三十年余りの時の流れを越えて聴衆をことごとく魅了してきた。
 このような仕事唄の再現は、杜氏(とうじ)たちの記憶に支えられ、あたかも蔵という空間を現出したかのようだった。しかし、問題はこれからである。
 仕事唄としての実態がなくなってゆく今後、酒造り唄のエネルギーをどのように受け継ぐことができるのか。「社会」や蔵という「場」が変わってしまった現在、背景に支えられて生きてきた音楽をいかにして継承したらよいのか。
 この唄の本質は過去への感傷的な情緒ではない。日本人が自分の唄を持っていたころの自信に満ちた声がそこにある。
 今、私は蔵人たちと相談しながら、動きを伴った唄の説得力に焦点を当てて徹底的に舞台芸能として再構成することで、その可能性を模索している。ここで望まれるのは、歌い手たちの唄への真摯(しんし)な取り組みと、歌い手たちを率いるリーダーや、彼らを支える企画者の誠実で慎重な姿勢だろう。


 専門は音楽学。著書に「日本の楽器」「おもちゃが奏でる日本の音」など。98年、「越後酒造り唄」のCDを刊行。