音を見にゆく  日本の音の博物誌
産経新聞 2000.9.8 夕刊
 

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おもちゃのシンフォニー
記憶の中の響きが飛び出す

 「おもちゃが奏でる日本の音」という不思議なCDを聞いた。
 文字通り日本の伝統玩具だけを使って演奏された音楽という。ピッとかダンとか、ホーとかジャラジャラ、カタカタ、コーン…と、多彩な音が重なり、もつれあう。初めは奇妙な音色に戸惑うが、やがて新鮮で安らかな感触に包まれているのに気づく。
 この音楽はどんな意図で演じられたのか。仕掛け人は上越教育大学教授の茂手木潔子さんだった。
 茂手木さんは発音玩具を明確に「楽器」と位置づける。日本古来の固有の音色がそれらにはある、というのだ。
 「日本の伝統的な音文化は、技巧的なリズムを刻む演奏法ではなく、一音に心を込めて演奏する発想を生み出した。それを立証したかったのです」
 CD製作には、茂手木さんに共鳴した作曲家や声楽家、ピアニスト、学生ら八人が参加した。音具を集め、選別し、作曲し、楽器の分担を決めた。演奏時間は一時間近くにもなった。使う発音玩具は六十種類、百五十個にも及ぶ。一人が二十個近くの楽器を扱う計算だ。戦場のような演奏風景が浮かんでくる。

 子供は遊びの天才。身近なすべてがおもちゃになる。ペンペングサを振っての音遊び、ほおずきの種を取って音を鳴らした喜び、貝殻を耳に当てて聞いた海の音…。自然や生活や遊びの中から見つけた音、それを模倣して作られた発音玩具が、私たちの生活を豊かに彩ってきた。
 子供は自分で操れる「楽器」を持ち、縁日の屋台や祭りばやしは格好の供給源になった。玩具に「日本の音」が機能していたのだ。
 しかし茂手木さんのいう「日本人の感性を反映した音色」は昭和三十年代を境に衰退する。自ら打ったり吹いたりする玩具から、機械がセットした発音体が自動的に鳴らすおもちゃへの変身である。ドレミの出る玩具へ音は走り出した。
 「あのおもちゃたちは、町の駄菓子屋さんからも、縁日の祭りからも消えてしまった」。茂手木さんは残念でたまらない。
 今なら復活できる。消えかかっている玩具を復権させ、この音を幼児や学校教育に生かしたい。近代以降の「音楽」の価値観の変化から、こぼれ落ちた日本の楽器を見直すことで自由で楽しい音の世界が広がるに違いない−と思った。
 茂手木さんの「楽器」にかける熱意が「おもちゃのシンフォニー」誕生の原動力になった。

 でんでん太鼓、金魚のがらがら、手鞠、鳥笛、ベーゴマ、篠笛、ぽっくり、羽根つき、竹鉄砲、貝の笛、びんささら、鳴子、お手玉、紙風船、ポッペン…。
 CD収録に使った「楽器」のほんの一部である。子供のころに聞いた音色が、記憶の中からいくつ蘇ってくるだろうか。
 CD製作のあと、茂手木さんは二十人ほどの学生と新津市美術館で「おもちゃのコンサート」を開いた。故郷の音、記憶の中の音、好きな音…それを五十分の作品に表現してみた。 パフォーマンスや舞台装置や衣装にも工夫を凝らした。聴衆の一人は、昔どこかで聞いた響きは忘れられないものですね、と言ってくれた。
 久しく楽器として認知されなかった謙虚なおもちゃたちが、大舞台で堂々の主役を演じた日だった。
(文 石橋成彰)