和の文化 音でたどる
東京発 元気 甲州人
 

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自然の「調べ」が導いた道

 十年ほど前、「酒造り唄(うた)」と出合った。杜氏(とうじ)たちが作業をしながら歌う唄に「日本の歌の原点」を見いだした。
 酒造り唄は作業の時間や工程を確認するために、ある時は、作業のつらさや寒さをしのぐために、必要に迫られて歌う。楽譜はない口頭伝承。歌い方も、声質もそれぞれの個性のまま歌われ、歌い手の人生が映る。そこに「日本の音楽文化の基本が詰まっている」。
 表舞台に出ることがなかった酒造り唄を新潟県内で調査し、記録。杜氏たちとドイツでコンサートも開いた。
 東京芸大楽理科二年の時、祭りばやしから日本音楽の研究に入った。同大大学院のゼミで民族音楽研究者の小泉文夫氏、国立劇場演出室に勤務時代は演出家の木戸敏郎氏と、多くの師に学んだ。第一線の演奏者、作曲家と出会い、義太夫や浄瑠璃、文楽などの「日本音楽漬け」となった。
 「人に優しい、人に無理強いしない、個性を伸ばすことができる…」。自ら考える日本音楽の魅力の一端だ。決して「さあ聴きなさい」という音楽ではない。箏(こと)の音も、声明(しょうみょう)や酒造り唄も「音色が空気の中に混ざり合い、聞いていて疲れない。体に音色が優しいんです」
 優しさはまだある。「その人がどう歌うかを聞き、三味線の音を下げたり上げたりして、どの笛を使うかも決める。日本の音楽は相対的なもの。楽器が人に合わせる。人が中心にあるんです」
 楽譜に縛られたり、ピアノの音に合わせるのではない。一人ひとりの発声は違っていいし、出せる声で歌えばいい、それが集まれば面白いハーモニーになる−。酒造り唄に象徴される「日本音楽の自由さ」を教育の場に生かしたいとも願う。
 著書「おもちゃが奏でる日本の音」(音楽之友社)ではガラガラ、ほおずき、でんでん太鼓など、消えかかっている音を「日本の音文化の基層」として記録した。
 生まれは「春日居村」。セミの声、コオロギの声、川の音など自然の音を聞いて育った。「この研究をしているのは春日居村で育ったからだと思います」。自然の音に包まれた故郷の「優しさ」が研究の原点にある。
<武井 功>